難波のことも夢のまた夢 10.25大阪【前編】
やって来ました
大坂城![]()
私が部長を勤めておりました奈良県立大学のサークル「見るなら奈良同好会」、私が部長としてのお出かけはコレが最後となりました。
何で、奈良のサークルやのに、大阪やねん!
ってツッコミはあるかと思いますが、当サークルはこれで京阪神散策を制覇しました。
小学6年のときの家族旅行で初めて訪れた大阪城。
歴史の授業で、戦国ファンになっていた私は、夢中になって見学した!のを覚えています。
大坂城は、昭和に建て直された“城型博物館”ではありますが、秀吉の息遣いまで聞こえてきそうなこの巨大なる史跡に、興奮させられたのでした!
菊の時期ですね。花を使って、豊太閤の千成瓢箪が描かれてました。
ところで、この城。
外国人観光客の比率は京都・奈良顔負けの量!
とりわけ、中国・韓国人観光客が非常に多いんです!
その証拠に↓
パンフレットは、日本語版、日本語子ども版、英語版、中国語版、韓国語版、しっかり取りそろえられてます。
朝鮮出兵した秀吉さんのお城を、韓国の方々はどんな気持ちで見つめているのでしょうか・・・
城内の展示室では、秀吉の生涯を立体映像で振り返るスライドショーが見られます。
小学校のときにも、これを見た記憶が鮮明に残っています。
戦国大名たちの壮絶な国盗り物語、最終的に勝利を納めたのは尾張中村の田舎百姓の倅・日吉だったのですから、本当にドラマチックな時代だったんですね~
天守閣8階の展望台からは大阪の街並みを一望できます。
大阪市最大の繁華街。新宿あたりと比べると、大阪の都心はゆったりしている気がします。
正面は生駒山。あの山を越えると奈良県です。
小学生時代に訪れたときには、まさか自分があの山を越えたところにある古都・奈良で生活することになろうとは、想像さえ出来ませんでした。
【天王寺方面】
ひときわ高い高層マンションの左に、通天閣が見えるのが分かりますか?
こうして大阪城観光をたっぷり楽しみました!
が、このレポート、今しばらくお付き合いくださいませ。
後編は、韓国と大阪の関係!に迫ります!
ただの散策日記に終わるかも知れませんが・・・
xiongmuと都祁の米田さんでやってます新ブログ
も、応援よろしくお願いします('-^*)/
『奈良逍遙』は何位?
↓ランクアップのためクリックお願いします!
にほんブログ村
悶絶! 高校受験!!
ワタクシのバイトは家庭教師であります。
おとなり大和郡山市に生徒さんを一人持っていますが、中3の受験生なんですね。
んで、英語と数学を中心に教えてさしあげてる訳なんですが・・・
コレが難しい!!
結構、忘れてるんです。
とりわけ数学は、高校時代に勉強してなかったのと、公式無視の独自の解法!で取り組んできたものですから、パッパラパーで(;´▽`A``
今日の対戦相手!は・・・関数!
y=ax+b・・・
グラフ書いて!
直線の傾きは?
座標を見て!
aとbの値を求めて!
はあ・・・
しかし、思い出しながらやってみるとコレが結構面白い。
古文単語なんか何時間見ててもつまんないけど、数学はやっぱり分かると面白いヾ(@°▽°@)ノ
逆に、分からないとこれほどつまらんものはないから、おそろしい学問です(-"-;A
でも、それ以上に英語はホントに苦しみましたね・・・
まず今思うと勉強の仕方が悪かった。
英文読んで、分からない単語があると、その都度辞書開いて、調べて、書き込んで・・・
全然頭使ってませんでしたな。
声に出して読むこともしなかったし。
英文CDも聞かなかったし。
これじゃ、英語が好きになるわけないし、ましてや得意科目になるなんてあり得ませんね。
さて、大学院行くにも公務員になるにも英語は要るし・・・
勉強しなおすか(^-^)/
ワタクシ新潟産奈良人xiongmuと奈良市都祁の陶芸家・米田さんで書いております新ブログ
のほうも、どうかよろしくお願いします。
『奈良逍遙』は何位?
ランクアップのためにクリックをお願いします!
にほんブログ村
あれから5年 思い新たに
今日で、新潟県中越地震から5年の歳月が流れました。
2004年10月23日・・・
旅行先の金沢にて、駅のテレビモニターから第一報を聞いたときの驚きは忘れられません。
それ以上に、翌日になって伝わった山古志の惨状・・・
あれほど、天の理不尽さを思わせる出来事はありませんでした。
毎月1回くらいの頻度で、親とドライブに行ってた山古志村。
なんで、牛の角突き(闘牛の現地名)をやったり錦鯉やお米、野菜を育てて楽しくエコロジカルに暮らしている人たちが、村を追われ、まちの体育館に身を寄せ合わなければならないのか・・・
中越であれほどの悲劇があったその日でも、遠くの都会では人々が笑顔で雑踏をそぞろ歩き、いや新潟市内でさえも地震の影響なく街は動いていたといいます。
そして、私が通っていた新潟市内の高校では、余震で閉校になるとバンザイして喜ぶ始末。
全く、他人事なのでした。
そして、その冬は近年まれに見る豪雪に。
とりわけ山古志は豪雪地帯だったので、地震には持ち堪えた家がどんどん潰れました。
そんななかでも、新潟市はうっすら雪化粧する程度。
新潟の都心部では、女性はミニスカートで歩くような快適な冬。
新潟県内という狭いエリアですが、都市との地域格差を初めて痛感した瞬間でした。
なぜか、私はここに理不尽を感じ、納得できないもやもやした冬を過ごしていました。
この地震は、みんなにとって他人事なんだという思いで、中越ファンの私は納得できなかったのです。
もちろん、全国からのボランティアや支援物資が被災者にとって大きな助けになりました。
しかし・・・今思えば、思いこみなんでしょうが・・・
中越ばかり、不幸の集中砲火を浴びてるような解せない感じが漂い続けました。
でも、「絶対に村に帰ります!」という、当時の山古志村長の宣言。
さらに、報道を通して伝わる「本当にみんな帰れるんじゃないか?」と思うほどの躍動感に、逆に励まされたのでした。
村に住む人たちひとりひとりの気持ちが、悲しみから喜びへと向かう過程が、画面を通して伝わってきたのです。
それを見つめていて、私は
村に生まれる
↓
村で育つ
↓
家族内で役割をもらう(洗い物など初歩的なものから)
↓
地域で役割をもらう(神社の管理当番など)
↓
地域の担い手・リーダーになる
↓
地域を愛する
という、村人たちの人生の展開を知ったのでした。
そして、山古志だけじゃない、どこにでもある“地域の宝”のすばらしさを、そこに住む人に気づいてもらえるような社会づくりが、いつの間にか自分の使命のように感じるようになったのでした。
大学進学して最初の2年。
正直、停滞期でした。
単位の取得だけが課題で、好奇心の向くところへ目を向ける生活をしていませんでした。
改めて思いが噴出したのは2年の終わり。
とくにきっかけはありませんでした。いろいろなことが重なり、思いが地域づくりへの情熱に収斂していったのだと思います。
そして、3年になって奈良市都祁地域や奈良を盛り上げようと頑張るひとたちとの出会いがあり、具体的な動きになっていったのです。
奈良市都祁地域の“むらおこし”に参加しているのも、自分の目標を達成するチャンスだと思っているからです。
“都祁”という地域にこだわりがあるのも事実ですが、それよりも“人が喜ぶ地域づくり”をどこかでやってみたいと思ったからがんばっているのです。
後輩たちも何人か付いてきてくれてます。
機会を与えた自分がいうのも何ですが、1年生のうちから実働的な地域づくりに参加できてる彼女らは幸せだと思います。
NPO都祁の皆さんをおじいちゃんのように慕っている姿が何とも頼もしいですね。
本当に、有り難い巡り合わせの繰り返しの中で、今の自分があるように思います。
あれから5年。
思い新たに・・・
目標に忠実に・・・
個性的で幸せな地域づくりを
これからも、目指していきたいと思います。
長くなりましたが、今日は節目なので、少しまじめに、自分の想いの原点について語らせていただきました。
『奈良逍遙』は何位?
↓クリックいただくとランクアップします!
にほんブログ村





