興福寺をおもふ 会津八一
手元に、ある新聞記事の切り抜きがあります。
「八一の心 興福寺に」
これは、2007年4月1日の新潟日報の記事です。新潟から奈良へ引っ越す直前、新潟市出身の詩人・会津八一の歌碑が興福寺に出来たということで、興味を持って切り抜いたものでした。
歌碑は、五重塔と東金堂の間から、国立博物館のほうへ抜ける道の途中にあります。
小さな歌碑ですが、除幕式には前新潟市長や当時の奈良市長が出席され、盛大な式典だったようです。
歌は、「興福寺をおもふ」というものです。奈良を描いた『南京新唱』のなかにあります。
春来ぬと今かもろ人行き帰り仏の庭に花咲くらしも
春がやって来たと今や多くの人が興福寺の庭を行き来して、そこには桜の花が咲き乱れているだろう。
(歌意の引用:http://www.geocities.jp/surume81_1/hitorigoto/81/ha/ha-gyou.html
)
奈良旅行の祭、この地の仏教美術に興味を持ち、それ以来奈良を愛してやまなかった会津八一が、東京から奈良興福寺を想って詠んだ作品だそうです。
会津八一は、著名な書家としても知られており、さきほど紹介したローカル紙・新潟日報の題字も、彼によるものです。
新潟市の日本海に近い砂丘に、彼の記念館もあります。
八一の歌碑は奈良市内のあちこちに建っています。少しずつ紹介していきたいと思います。
私が奈良に来る半世紀以上も前に、郷土新潟が生んだ歌人・会津八一が、気持ちを高ぶらせながら同じ場所を歩いていたことが思い起こされます。
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まちづくりの会議
今日は、奈良ロイヤルホテルまで奈良市法華寺町のまちづくりの会議に行ってきました。
法華寺町は、奈良市の北部で国道24号線を北上すればまもなく京都府、西へ行けば平城宮跡と近接している小さなまちです。
法華寺町といえば・・・
門跡寺院の法華寺
と、国宝を持つ寺院があるところで、有名人が埋葬されているとの説がある陵墓参考地もあります。
その歴史的なまちで、奈良県庁職員の方々と地元住民の協働でマップづくりをすることになり、その会議だったのです。
どのように情報を盛り込むか、会議は白熱してなかなか時間がかかりましたが、いい地図ができると思います。
でも、県のホームページを見ると奈良県内各地ですでにこういった取り組みが行われていて、決して特異性があるわけでも先進的な取り組みでもないようです。
すでにマップが完成している地域もあるのですが、マップ自体お目にかかることが少なく、決して実効性の高い事業とまではなっていないのが現状のように見受けられました。
地域住民や観光客にとって、どういう意味を持つのか真剣に考えないといけませんね。
こういった共同作業を通して住民や行政マンがまちの未来について語り合う機会になればいいと思います。
平城人
最初、こういう広報隊は奈良に似合わないじゃないかと思ったんですが、平城宮跡のフィナーレでパフォーマンスを見たときに、いろいろなものが移り変わる世の中で、1300年変わらないできたのが奈良の魅力だけれども、そのなかで変わっていこうとするパワーを感じました。
大昔から奈良の地で生活を営んできた先祖を持つ人たち、伝統的な格式や技術などを継承している人たち、そして新しい力を吹き込む人たち・・・
とくに今年は、新しい力がどんどん奈良で生まれてきたんじゃないかと思います。
「平城人」のパフォーマンスに、そんな新しいパワーを感じました。
移り変わる奈良を、古の人たちがどんな風に感じているのか、聞いてみたくなりますね。



