何となく理解したつもりになって目を背けていた自分の障害…
年末に大きく体調を崩し精神的にもドン底を見て数多くの人に迷惑をかけてどうにか職場復帰できた今、改めて自分の障害をキチンと自分自身が理解しなければ!と思い至り職場や公的機関の力を借りて学び始めました
…が、やはり『障害』を受け入れるというのはなかなか難しいです
自分の事なのに、イヤ自分の事だからこそ冷静になれず『うわぁ…そっかぁ、そうなんだ』という言葉がずっと心の中で繰り返されたいました
でも、それと同時に自分が人の2倍、3倍の努力をしてもまだ『健常者』という人たちには近付けず、むしろ『努力をしていない』と見なされる理由が分かりました
それはとても簡単な事で『健常者』にとっては何気なく出来ている事が『障害者』の私にはとてもハードルが高いけれどお互いに見えている視界が違うから相手の視界で見る事ができないからなんです
言うなれば『立って見ている』か『座って見ている』かの違いなんです
『座って見ている』私たちに『立って見ている』人たちはいとも簡単に『立って見てみろ』と言います
それは言い方悪いかもしれませんが車椅子の方に『立って見てみろ』と言いますか?と思うのです
例え目に見えない、分かりづらい障害だとしても障害なんです
そして決して自分から望んで障害者になった訳ではないのです
目に見えない障害だからこそ周りの人たちに気付いてもらう為、何かあったら助けてください!の意味を込めて『ヘルプマーク』をカバンなどにつけています
でも、認知度は限りなく低いな…というのが私の感想です
私は基本同年代の方より格段に体力がありません。
また貧血気味だったり、集団が苦手で余りにも酷いとパニック発作を起こし過呼吸にさえなります。
なので、公共の乗り物に乗るときはなるべくヘルプマークが他の人からも見えるように座るようにしています。
てすが、混雑してくると年配の方からあからさまに睨まれることなんてしょっちゅうなので最近では敢えて最初から立っています…
仕事だったり出先で体力と集中力をつかい、帰りの交通機関でも体力を使うと家に着いた頃にはまさにグッタリです…
でも、それもただ単に体力がないという訳ではなく障害からくるものもあると知り、ホッとしたような『ここまで影響するのか…』というガッカリだったりが複雑に交錯してます