さすがにもう父親を理解しよう、理解してもらおうという考えは捨てよう…


どこまでいっても私には父の考えている事が何一つ理解できない


利き腕を怪我して毎日痛みに苦しんでいる娘を目の前にして当たり前のように雪片付け、灯油の調達などの力仕事を全てやらせて自分は温かい布団でグッスリ眠るなんて意味が分からなさすぎる


お陰で少しは良くなってるハズの腕が全く良くならなくて病院の先生に怒られる…という謎の負のループにハマっているし


思えば私が病気になった時も障害が分かった時も一切の心配はしないで、ただひたすら『世間体』を気にしていた人だったな…

そして今でもお決まりの『ただの怠け病だ』を聞き飽きるほど聞かされる毎日


何となく思ってた『老後の面倒をみないと』なんて考えきれいサッパリ消え去ったわ…

あんなに死ぬほど苦しくて辛い思いを味わって、そのうえで『生きたい』って思ったハズなのに…


気付いたらまた『死』に包み込まれてる


死にたいわけじゃないのに一本の綱渡りを歩くように不安定になっている

一歩踏み外したら死へ向かっていく自分がいるのが分かるから一歩を踏み出せなくなってる

でも、ずっとここにいる訳にもいかない…


頑張って一歩を踏み出さないと

基本的にプレゼントをもらう機会が極端に少なかった私は大概のプレゼントは本当に嬉しく心から『ありがとう!!』と言って大切にしてきました

まぁ、自作の唄だったりポエムはちょっと扱いに困りますが…

それでも、ずっと周りに言い続けてきたのは『何があっても花束のプレゼントだけはいらない』というものでした

もちろんコレは今までお付き合いしてきた方々にも伝えてきたので幸いにもらった事はないのです…

ですが、一度だけ以前勤めていた職場を退職する際に上司から本当にドラマで見るような腕に抱えきれないぐらいの大きな花束をもらった事があります

その時はもちろんそこまでしてくださる上司の気持ちがとても嬉しく感動しましたが、同時にどこか冷めた気持ちで『うわぁ、キャラに似合わない素敵な花束をもらってしまった。どうしよう…』とも思いました

それまでにも花に触れる機会はたくさんあり、小さな頃から母と祖母が競い合うようにお互い別々の庭で花を育てていました

まさに今でいうガーデニングのようなモノで2人とも庭で咲き誇っている状態を楽しんでいたので家に飾るということはお仏壇に飾る以外ではありませんでした

なので、私の中で花束は『ドラマに出てくるようなキレイな人がもらうモノ』というイメージともらっても絶対に枯らしてしまうという確信があったので自分には縁遠いモノだと思っていたのです


ですが、10代も後半になると何となくプレゼントで花束をもらいそうになる事が重なり、その度に『花って切り花より地面に咲いている方がキレイだよね〜』と心にもない事を言っては回避していました

それぐらい花束はもちろん、花にすら興味がなかったのですが、なぜか30代を超えた辺りから突然道端に咲いている花や花壇の花に目を留めるようになり、気付いたら写真を撮って眺めたりするようになりました


そして『お部屋に花を飾りたい』とすら思うようになったのです

でも、まだ『生花は枯れるしなぁ…』といったハードルが高いので今は造花を飾っています笑


彩りや見た目は一切ムシで私の好みによる独断と偏見で飾ってますが、それでも造花とはいえお部屋に彩りがあると何となく心も華やかになりますね〜