6月28日(金)

高校時代の親友(心友)

お墓参りへ。

 

高校2・3年相棒と同じクラスだったが、当時は親しくは無かった。

卒業後 6~7年後・・彼女から電話があり、ひょんなことから

再会することに。これが 彼女との《ご縁》の始まりだった。

 

彼女と関わったことで、今まであまり意識して無かった

《義理と人情》知り合いへの深い配慮、親切さ、愛情・・ってのを

改めて、考えさせられたっけ。

女トモダチの中で、ココまで深く 尽くしてくれて

信頼してくれたのは・・今現在でも、まぎれもなく相棒ダケです。

 

そんな愛する相棒の命を奪った 恨めし病名は・・

 

肝内胆管癌。 川島なお美さんと同じ癌で

2016年(H28,9/8) 40代でこの世を去りました。

 

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今月、6月18日

相棒の〇〇回目のお誕生日でした。

 

生前~

面倒見の良い相棒は、職場での若い男の子への

配慮も忘れない。

 

若い子達からとても信頼があり

よく吞みに連れて行ってたし、誕生日会&誕プレ

モチンロン!!準備する人で

可愛がっていた若い子達を=舎弟(しゃてい)

よく言っていた(笑)

基本、老若男女に配慮する人だ。)

 

そんなタイプだから、『 姐さん 』

『 〇〇さん 』と、周りから慕われ

いろんなメンズ達が、吞みに行くと

数名はついてくるのであった爆  笑

 

だからきっと・・

生きていたら、たくさんの舎弟(メンズ達)を

呼んで

 

今でも盛大に 誕生日パーティーを開催して

いただろうな音譜

 

また、そんなパーティーへ

参加してみたかったヨ o(TωT )泣

 

お誕生日には、お墓参りへは

行けなかったので

 

6/28 に行ったのでした。

 

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毎回では ありますが・・

 

彼女が生前好きだったお花=バラブーケ1

ブースを選択して

 

 

相棒は、納骨堂で眠っております。

 

3ヶ月振りの ご対面星

 

 
 
下矢印生前の相棒写真。
 
この写真は・・
 
かかりつけ医(総合病院)にて
『 悪性の可能性が・・』と、言われ
 
本人希望で、横浜では有名な
大きな病院にて
精密検査を受けることになりまして、
 
その頃の・・検査入院時に、
1日早い
誕生日を迎えた時の写真になります。
 
image
 
2015年 6月17日 撮影~と
なっていますね。
 
この時期も、検査・検査で 相棒が
最も大変だったのですがびっくりマーク
 
私も・・メッチャ辛い
時期に入っておりましたもやもや
 
昔からブログを読んで下さっている方なら
ご存知だとは思いますが、
 
そぅです・・
 
当時まだ、川崎在住だった父が
体調を崩し、
 
父のかかりつけ医(総合病院)、
各・科から何度もやり取りはあるわ&
通院付添いも多くありであせる
 
早朝から 父に呼ばれては、速攻~準備して
川崎の実家へ行くわアセアセ
 
交通費貧乏になり、普通のママチャリで
片道 13キロほどの川崎の実家まで通ったりもやもや
この頃は電動チャリじゃ無かったから
     坂道&長距離で、尾てい骨を痛めたワピリピリ )
 
通っては・・
 
掃除、洗濯、買い出し、軽度・糖尿病だったので
カロリー計算した数日分のオカズたち
作っては冷凍庫へ、それらを終えてから
チャリで 横浜の自宅へと帰宅ですチーン汗
 
帰宅したら、ワンコトイプードルの散歩~夕飯の支度・・と
合間をぬっては 自分の病院へ・・と
ヘロヘロな生活を送っていた日々だったのーえーん
 
この頃は、相棒の癌を知ったショック
父のお世話が始まった疲労出費・・が
 
ほんとーにびっくりマーク
Wで辛い時期でした。
 
私が 何か しましたか?
 
なにゆえ 私に・・このような
罰をお与えに??
 
と、ずっと考えていたワ。
 
ココからの数年間は 濃厚・重厚~な、
ある意味
地獄はてなマーク 天からの《試練》なのか??
 
・・って、思うくらい
 
辛く 苦しい 思いをしたものでしたもやもや
 
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2016年 8月4日相棒自身の力で
下矢印最後に 打ったメールです。
亡くなる1ケ月と少し前になります
 
相棒からのメッセージ、処分できずに
今でも大切に持っていますおねがい
 
この時期は・・
 
4オピニオン後、5ヶ所目の病院にて~
 
赤十字病院の《緩和ケア病棟》にて
最期の時を迎える・・という時期でした。

 

この後にも、メールが彼女のアカウントから
届きましたが
それらは、当時の彼氏が
相棒に代わって 送ってくれた。
 
上矢印この内容を見るに・・
 
当時、多分ですが・・もっと私に
来てもらいたかったのかも!?しれませんね・・赤ちゃん泣き
 
私的には、週2~3回は
お見舞いに行ってはいたのですが・・。
 
2016年のこの時期の私は~
 
父のお世話を近くでする為に
川崎にいた妹親子を 横浜に呼んで
妹親子&父の同居が始まっていた
我が家から徒歩5分圏内の場所に
越して来てもらった。
 
当初はまだ、デイサービス等にお世話に
なって無かったと思う。
 
昼間~夕方まで
父のお世話を毎日している日々。
 
体力向上の為、小雨でも傘を片手に
一駅分ほど
父を支えながら、ウォーキングなど。
 
念のため、近所にあった
地域ケアプラザにて、無料で車椅子をレンタル
していて
時には、車椅子をひきながら
ウォーキング。
 
食事管理は変わらず、低カロリー
計算して作る日々泣
 
・・と、いったように
 
お互い大変な日常を送っていたのよねぇえーん
 
無論、相棒の方が
痛い 苦しい 想いが通じないイライラなど
辛いハズ。
 
そんな苦しみが消えたのが
 
2016年 9月8日
 
この日の早朝~ 5時半過ぎぐらいに
彼女のお姉さんからLINEがあり、
 
『 そろそろ危ないそうなので、
      合わせたい人には~ 』
 
と、いった内容が入った。
 
速攻~ 朝シャンして
準備をして、病院へ着き 病室へ向かう途中
相棒の姪っ子とすれ違った。
 
姪っ子『 Tちゃん(相棒)ついきっき、
数分前に
   亡くなりました・・。』
 
と、呟いた。
 
びっくりマークはてなマーク なに言ってんのはてなマークはてなマーク
 
Σ(゜□゜(゜□゜*)
 
再度 姪っ子ちゃんに確認した。
 
ウソだ ウソだ・・ウソだぁー
 
と、呟きながら~ 勝手に自然と
廊下を小走りしていた。
 
病室に入ると、ご家族・ご親戚の方々が
相棒が眠っているベッドを囲んでいた。
 
私からはまだ、相棒の顔が見えてイナイ。
 
ご家族の雰囲気を見て・・ウソじゃないんだ、
と確信し始める。
 
病室のドアから なかなか前に動けず
フリーズしてしまった私。
 
相棒のお姉さんが、私に気付き
 
お姉さん『 パルちゃん、忙しいのに 朝早くから
  来てくれたんだね・・大泣き
どうもありがとね、
  T子に会ってやって・・。
      ついさっき、逝ってしまったの・・
    ホラ、顔を見てあげて~ 』
 
と、言うのだけど
 
私は、脚がなかなか前に出なくてあせる
 
やっと、前に動いた・・と思った時
 
ベッドで眠っている
相棒の顔が見えた。
 
私の口が勝手に開く
 
『 イヤだ、会いたくナイびっくりマークイヤだ、
    イヤだよーえーん 』

 

相棒のベッドまで行けず、手前の壁に

泣き崩れ、落ちてしまった。。。_| ̄|○

 

その泣き方はまるで、小さい子が

しゃくりながら大号泣するような

そんな泣き方だった。

 

私の深いショック

理解して下さったかのように、

私の姿を見て、ご家族の方々が

更に 声を漏らし涙を流していた泣

 

私の近しい人が他界して、

こんな泣き方をしたのは 今のところ

相棒ダケだ。

 

大好きだった祖父、母が亡くなっても

ココまで 泣きじゃくることは無かった

 

それだけ、私にとって

大切な 愛する友人・・というか

希少な人物、

人間だったのだ。

 

相棒が旅立ってから 今年で

8年を迎えた。

 

まだ、8年しか・・経ってない。

私にしたら《しか》なのよえーん

 

それだけ、相棒の存在は

私には 大きかった

 

今でも 逢いたいと思う。

 

逢いたいから、3ヶ月おきに・・

シェアカーでお買い物へ行く際、

1番最初に

相棒が眠る、納骨堂へと寄ってもらい

会いに行くのだキラキラ

 

 

『 また 会いに来るからね~ハート 』

 

と、バイバイしているところです(笑)

 

次回は、9月・・彼女の

命日月に行く予定です音譜