娘の卒業式が迫り、ハンドメイドしながら日々を過ごしていた中・・
①3月第2週に入った頃、珍しい方から LINE が入った。
連絡をくれたのは、亡き相棒(親友)のお姉さんからだった。
なにごとだ お姉さんから連絡が入るなんて・・お母様のことかしら??
と、イヤな予感しながら内容を呼んでみると・・
《 ご無沙汰しております。突然の連絡ですみません、確かPARUちゃんも
NJさんのこと知ってたよね? NJさんが亡くなりました・・ 》
と、書いてあった。
NJさんは元・警察官で、私達とは 10歳以上離れた男性・・おじさんです。
そして、相棒家族が中華屋を営んでいた頃から~家族ぐるみの付き合いだそうで。
相棒のことを子供の頃から知っていて、成長するにつれ、相棒を女性として
見るようになり 恋するようになったNJさん。
知ってるけど・・・
私も何度かお酒の席で合席したこともありますが、私とはアッサリ・・
挨拶をし、少しお話しする程度でありました。
相棒のお姉さんは、知人とお線香をあげに○○県まで行く・・と言ってましたが
申し訳ナイ・・私はソコまで親しい関係ではナイので、家でお線香を焚き
合唱し、お祈りして終わりました。
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信じられないことに、訃報連絡はまだ続いた。
②3/22(火)父の同級生で大学時代からの、大心友=Oさんが
亡くなりました・・と、悲報のハガキが届いた。
父とOさんは、某・大学で4年間・・箱根駅伝選手として 切磋琢磨してきた仲で
以前から何度か 父からOさんとの仲を聞いていた・・
《 Oは、自宅へしょっちゅう~来ては、ウチでごはんを食べて過ごしてたんだよ。
兄弟のように仲良くてな、学校でも他の友人からは~
<Oを探すなら、お父さんを探せば見付かる!>・・って、言われるぐらいw
周りからは、H(父)の金魚のフン=Oだ!(笑)・・と言われたほど
いっつも一緒に居たよ~ 》・・・と。
それだけ仲が良かったダケに、私が物心ついた頃から
Oさんが我が家へ何度か遊びに来ていたのは、よく覚えているし
私自身、子供の頃~ 弟と一緒に父の車でOさんのご家庭へ遊びに行った記憶がある。
私が20代半ば?後半ぐらいだったか・・Oさんが実家へ遊びに来た時、
成人を迎えていた私は初めて、Oさんと一緒にお酒を呑みながら語ったなぁ・・。
私がお酒を呑んで話す姿を見て、Oさんは感慨深めに
『 そっかぁ~ PARUちゃんとこーして飲むようになったのかぁ~^^ 』・・と言い
優しい笑顔でニコニコして呑んでいた姿を思い出します
父がまだ川崎に住んでいて、体調を崩し情緒不安定だったあの大変な頃・・
2015年 春頃の話し・・Oさんが父と話した時に様子がおかしかった、と心配し
横浜に居る私のところへ電話が掛かってきました。
事情を話すと、Oさんが言った・・『 PARUちゃんさえ良ければ、私が時々
お父さんの所へ通って、私と一緒に外へ・・軽い運動しに外へ
連れ出してあげたいんだけど、大丈夫かな?』 ・・と、きいてきた。
私は、『 いえいえ有難いことですが、Oさんがワザワザそこまですることは
ありませんヨ ご近所ならまだしも・・結構~距離があるますし、
父はお腹の痛みがちょくちょく起こるので、少ししか歩けないと思います。』
と、伝えると・・
Oさん:『 大丈夫。それだったら、止めて引き返すから。無理はさせないから~
私も運動がてら、マラソンしたりウォーキングしながら行くし、帰りは
電車で帰る予定だから、私のことは気にしなくて大丈夫だから。 』
・・と、言うのです。 Oさんも父も、当時 76歳ぐらい。
父も体調&精神が崩れる前まで(70代前半)、ランニングやウォーキングや
庭で筋トレなどを2時間ぐらいかけてやってたんですね、
父と同様~ どーやら・・Oさんも ずっと!ランニング&筋トレは続けていたそうで
トレーニングがてら、中原区~川崎区の実家まで走る&歩きで父に会に行くと
言うのです 倒れても困るので、
私は『 どうか決して・・ご無理はせず、お気持ちダケで有難いです。』と
伝えましたが、後日・・本当に父に会に行ってくれたんですよ(感動)
その後、父の不安障害も進み・・川崎での独り暮らしが出来なくなり
横浜へ越して来ることになり、妹親子と2年ほど同居したが無理になり
当時のケアマネのご指導の元、新築で完成した=高齢者賃貸マンションへ住むことになる。
そのマンションへ訪ねて来てくれたのも、Oさんでしたし
この後、老健へ入所することになるのですが・・
その、老健へも面会へ行って下さった方は・・ Oさんでした。
Oさんは、自分が腕の骨折をする大怪我をしても・・介護付き老人ホームへ入所中の
父を心配し、父の様子を訊いてきました。
私が窓口となり父との懸け橋役をしているので、父を心配する
小学生時代からの友人や大学時代の友人、同世代の親戚から
連絡があるんです。
そんな中でも、ダントツで心配してくれていたのは=Oさんでした。
昨年始め・・Oさんから連絡を頂いた際、
『 私は、膀胱癌と診断されましてね、まだ初期段階だから
心配しないでね。 治療に専念することになったから
落ち着いたらまた連絡します。
元気になったら、○○さん(父)と会いたいからさ
PARUちゃん、どこかの駅で待ち合わせをしてさ 施設まで案内してよ♪』
・・と言い、時が経ち
数ヶ月後、Oさん自身から連絡を頂きました。
この頃は、治療が上手くいったようで
『今は、要経過観察中で
また近い内に検査に行かなきゃならないんだ。』と、おっしゃっていて
『 早く 会いに行きたいんだけどな。。 コロナ禍だしね・・
○○さん(父)は元気なの』
・・と、やっぱり・・ご自身の方が大変なのに!父の心配をしているのです。
昨年10月、Oさんからの電話で・・
『 まったく・・困っちゃうよ なんかね・・癌が転移している・・と
言われちゃってさ また治療に通わなきゃならなくなったんだよ・・
今はさ、入院じゃなく通院で済むからね~
ちょっとまた・・お父さんに会えなくなっちゃったけど、
私も治療を頑張るから、お父さんも頑張るよう~伝えて。』
これが、私とOさんとの最後の会話になるなんて・・思いもしませんでした。
って、いうか・・ あれだけ鍛えて、声も若くて、元気なおじさんが
父よりも先に逝ってしまうなんて、あり得ない・・と 思っていました。
それだけに、送り主=Oさんのご長男名で届いた 訃報の封書と思われる
封筒を見た途端、しばらく開けることが出来なく・・
恐る恐る封を開け、見開きハガキで長文&ご丁寧なごあいさつ文を目にすると
3行目あたりに、おじさんの名を目にし・・確信した時
開いた口を片手で押さえ、しばらく固まってしまった。
その後、号泣し・・一旦 おさまったものの・・妹に連絡を入れた際
電話口で、う”ぇう”ぇと大号泣してしまった。
おじさんと、《 コロナが明けたら、父の施設に一緒に行きましょう》と
約束していたのに、叶わぬ夢と終わりました。
おじさんの御逝去は、とっても辛かった・・布団に入っても 涙が止まらなかった。
そーいえば・・父が・・ 3/7((月)の通院日の日に、ふと・・呟いたんだよね・・
父:『 お父さんの知り合い・・友達は、みんな元気かな
もぅ みんな 逝っちゃったんじゃないか??
1番親しかった、Oは生きてるだろうか・・。 』・・って、
言っていたのを思い出していたワ。
Oおじさんが天に召されたのが=3/4(金)だから、もしかしたら・・
その後、父に会に行ったかも?しれませんね。
それがもしかしたら・・父の脳裏にうっすらと残っていた!?から
通院日に、自然とあのような言葉が出てきたのかも!?しれませんね・・。
大心友のOさんが亡くなったことは、明日は我が身・・と思っている父には
体力ともに衰えている父には、とてもじゃナイが話すことはできません。
父がいつの日か、天に召されたら~
あの世でご対面したのち、真実を知ればイイと思っております。
父の名で お香典を送り、
我が家からは・・父とOおじさん2人の共通である、
大学カラーをイメージした、プリザードフラワーを送りました。
(画像は、販売元からお借りした物です。)
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そして・・
またもや、あり得ないことが起こりました
明日はイヨイヨ、娘の卒業式だなぁ~と
着付けの際に持って行く、装飾品を揃えていた昼間・・。
3/23(水)LINEの通知音が鳴った。
送り主をチェックすると・・
娘の中学受験の塾で知り合い、ワンコのお散歩仲間であった
Wさんというママ友さんからだった。
コチラに住んで居た頃は、ワンコの散歩で毎日のように会っては
お茶して、愚痴をこぼしたり、韓流ドラマの話で盛り上がっていて
とても美人でノリの良いママさん。
お義母さんとの同居が決まったとのことで、車だと2~30分程度離れた場所へ
お引越しをしてしまったんです
離れてからは、会うことも減り、連絡も極・たま~にする程度に。
久々に会ったのは、昨年 うちのワンコが天国へ行ったのを
報告した際、連絡した2日後ぐらいに
大きな花束とお菓子を持って、お線香をあげに来てくれた時でした。
彼女は涙をボロボロ流しながら、思い出を語りの話しを聞いてくれてました。
その後また、連絡は途絶え しばらく間が空いてしまいました。
③ 3/23(水)お昼頃、WさんからLINEが入る。 読んでみると・・
《 PARUちゃん、連絡をしないでごめんなさい。 去年、7月7日に主人が
心筋梗塞で亡くなりました。 突然のことでした。 私は~ (省略) 》
・・と、書いてあるではありませんか。。
私は、絶句し 固まってしまった。
ご主人とは、会釈する程度で まともに会話をしたことがナイけれど
確か・・私と同じ歳だったハズ。 Wさんは、私より1つ下。
Wさんと直接お会いする機会をつくろうとしている最中です。
彼女、お仕事を始めたから なかなか調整が難しいようだわ
今月、3月は・・訃報連絡が《3件》も入り
気も滅入りましたが、
気合を入れ直し、娘の卒業式を迎えたのでした。
昨年、3月10日~愛犬の死から始まり →
4月、同級生の仲間の奥さん(同じ歳)が御逝去し→
10月には、同級生のお父様が亡くなり&父の姉が亡くなり・・、
今年は3月に入ってから 3名様の訃報を聞くことになるとは・・・ 心が重いです。
続き過ぎませんか?
何かの暗示ですか?
私への警告でもあるのかしら??
今週~水曜、胆嚢を調べる・・エコーを受けるんだけど・・
この響く痛み?は ただの胆石によるものなのか?
それとも、他の病気を抱えているのか?
検査結果を聞くのが怖くなりました。
亡くなった皆様には、心よりご冥福をお祈りいたしております。
合唱
終り。