今年のお祭りのイベントの締めにもなる
第九演奏会が昨日行われました。
会津と第九は深い関係があり、
1918年に徳島県鳴門市になった板東俘虜収容所で
ドイツ兵俘虜に寄って演奏されたのがこの第九です。
その時収容所の所長が会津出身の松江豊寿。
豊寿は収容所時、集められた俘虜を前に
「私の考えは博愛と人道の精神と武士の情けをもって、諸君に接することである」
と訓示しており、この当時俘虜に対する非人道的な扱いが一般的な中
武士の情けをもって接した。
第一次世界大戦の終結に伴い、ドイツ人俘虜が解放され帰国する際
松江豊寿所長や地域の住民との温かい交流に感謝し演奏されたのが
「交響曲第九番」とのこと。 (プログラムの紹介文引用)
会津には「磐梯山は宝の山よ」と歌われるくらい
自然が豊で、また伝統工芸も宝のひとつですが
なんといっても、こういう人材が生まれ、
シンドラーのリスト的な人がいた、というのは素晴らしく
日本人としても誇りに思います。
さて、第九のパンフレットを見ていると
会津「第九」の歩みが載っていました。
さら~っと何気なく見ていたら・・・・。
な、な、なんと、大学時代に声楽を教わった山根比奈子先生の名が!!!
(東京出身)
素晴らしいソプラノ歌手ということは当時も存じ上げておりましたが・・・。
お父様は山根銀二、ベートーヴェンの研究者、音楽評論家。
先生が会津で歌ったのは昭和45年。(私が習うずっと前、念のため)
京都交響楽団で。
なぜ、会津に???
京都、といえば、ピアノを師事したザイラー氏も京都出身で
会津美里町にある大きな伊佐須美神社でのこけら落としで演奏したっけ。
なんでわざわざ会津へ?
それぞれの先生がご存命なら是非伺ってみたいところです。
どうも私と音大時代の先生は会津に関係があったようです。
昨日の第九は無事成功しました。
ゲネプロではどうなることか?とも思いましたが
本番ではオケの音色も安定し
ソロの方々も、合唱も・・・・・。
練習回数は恐ろしく少なかったのですが
指導をしてくださった指揮者、渡部勝彦氏の曲のつくり方だと
本番強く感じました。
指導もユーモアが溢れる中に真意を伝える、という、
素敵な指導でした。
昔の先生を知る友人は
「若い頃はイケメンだったんですよ~!」と。
厳しかったらしいですが。
今でも充分ダンディな先生でした。
会津、第九 音大時代の先生・・・・・。
不思議な縁を感じました。