「落語の世界」 柳家つばめ |  犬の噺。

「落語の世界」 柳家つばめ



 犬の噺-1022


初版は昭和42年、柳家つばめさん38歳です

書かれた当時、弟子はとんぼさんだけ、権太楼さんはまだ学生です


裏表紙には

「・・・これから落語を聞く人にも、落語通にも必携の一冊」とあります

現代のことはわかりませんが、

つばめさんが活躍された時代の落語界のことはよくわかります

古典になった方々が活き活きと登場しています

古きよき時代の匂いがします


とにかく内容盛りだくさん

忘れずにおきたいことがいっぱい書かれています、



例えば・・・

「・・・慢心で、いい例が、談志さんだ。
彼は、私と同じ二十七年四月に入門し、同じ二十九年に二つ目、同じ三十八年に真打になった。
彼は、昔からすじがいいと言われ、なまいきだと言われ、油断ができないと言われ、やっぱりうまいと言われ、慢心するぞ、と言われ、していると言われ、現在まで育ってきた。
立派なものだ。

人間的には、ひとくせあるから、当然悪く言う人もいる。私も、性格はまるで合わないから、同期であっても、あまりつきあいはない。

つきあわない、と言うより、お互いに合わないのを十分知っているから、領分を侵しあわない、とでも言うのが本当だろう。
彼は、今も、慢心かもしれない。

しかし、ことによると、慢心が、本人のためになっているかもしれない。

それで、あれだけの人気が出たのなら、慢心も悪いものではなかろう。
ただし、この頃は落語家と言うより、落語家出身の毒舌タレントになってしまった、という気はするが。

ついで、と言っては申し訳ないが、他の若手にも、私なりに感じたことをひと言ずつふれてみると、
林家三平さん。
ネタが少ないということは、売れっ子共通の悩みだが、やはり気になる。もう永いことないぞ!すぐ人気が落ちるぞ!と言われ出したのは七、八年も前。それが、今も人気を持ち続けているのは、そのサービス精神と、可愛らしさだろう。問題は、もっと年をとっていじいさんになっても、いかに可愛らしさを持ちつづけるか。可愛いおじいさんになれるかという点だ。しかし、この人ならできそうだ。
三遊亭歌奴さん。
売れっ子の中では、私は一番の技術者だと見ている。だから、一時、故馬風師の線をいっていたが、そんな必要はない。歌奴には歌奴の行き方があるはずだ。何も他人の足跡をさがすことはない。馬風流は、後輩のかゑるあたりにまかしておいて、あなたは堂々と、歌奴でわが道を走るべきだ。

・・・・古今亭志ん朝さん。
名門出を感じさせなくなったところに、この人のえらさがある。噺は以前の繊細さが消えたが、線の太さが目立ってきた。もう一度、以前とちがう繊細さを取り戻したら、素晴らしいものになるだろう。・・・・・・」

昭和42年当時、談志さん31歳、志ん朝さん29歳



もう一つ、

「・・・よく、先輩が、
「若い頃、何度やめようかと思ったか・・・・・・」
と言うが、本当を言えば、これは嘘だと思う。
苦しい時に、やめたら気楽だ、とは思ったことだろう。
しかし、やめよう、とは思わなかったはずだ。
やめたくないから苦しむのだ。あくまでやっていたい。成功したい。そこで血の涙を流すのである。
われわれの仲間での、最高峰の一人。黒門町の師匠桂文楽。
若くして、文楽となり、若い頃か大いに売れ、順調にのびて、名人の名をほしいままにしている師匠。才能も精神も最高と思える人。
「わたしゃね、苦しくて苦しくて、寝たって寝られるもんじゃない。真夜中に、枕にしがみついて、カーッて、男泣きなんだ。女房がびっくりして、とび起きて、どうしたんですって、聞くんだよ。しかし、女房に話せることじゃないし、話したって、わかるようなもんじゃないんだ。そんなことが、何度あったか」
まさか、あんなに大成功の師匠に、そんなことがあったのか、と、これを聞いた時、私は思ったものだ。
しかし、事実は、そうした苦しみを、感じとる心があったからこそ、成功したのだ、と私は思い返した。」

修行中の前座さん、二つ目さん、がんばれ~~



それから・・・・過日、

志ん朝さんの巌流島/岸柳島を観た時、一体どっち?と思った謎について・・・

「・・・・・・昔、巌流島か、岸柳島かという論争があったらしい。

その時は、巌流島の方が正しい、と決まりかかったが、誰かが、

「だけど、きしのやなぎ、岸柳島の方が色っぽいじゃないか」

と言ったら、

「それもそうだ」

と、岸柳島に決まってしまった、という話である。・・・・・」

「・・・これでなくてはいけない、なぞと、かたいことを言わずに、両方、書く者が、好きな方を使っているあたり、落語的である。・・・」



つばめさんの芸人としての厳しさとか人としての優しさとか・・伝わってきます

つばめさんの噺、聴いてみたかった・・・・