それなりに生きてますの擬装。


いつもこんなふうに片付いてるのではなくて
人が来るから片付けただけ。
自分の生活にあまりこだわりがない。
ベッドに荷物がおいてあったら
床で寝ることを選んでしまうし。
たまに来客が有るときは普通の人っぽく
擬装することになる。。。
予想通り
仕事から帰って
頼まれた買い物をして
そのあと深夜2時くらいまで片付ける。
関係のないものを鍵付きの別室に
放り込み。
シンクとか床とか磨いたり
取っ手やスイッチを拭いたり。
そして花を飾ったりした(擬装)。
やるしかないとあきらめると
片付けることができる。
・終わるもんやなぁ
・掃除って「禅」というか、ストレス軽減ワーク的な効用はあるなぁ
と思いながら
ベッドの上を占有していたものをどかしたので、久しぶりにベッドで寝た。
ベッドの上は、正直そこまで壊滅的に散らかってたわけではないけど、単に「箱をどかす」ことのめんどくささより、別にベッドで寝なくてもいいしが上回っていただけ。
次の日、知人を引率して、小さな山に登り
そして自宅にまねく。
道中、
シャガの花があちこちにたくさん咲いていた。
ツツジも咲き出していた。
すみれもまだ咲いていた。
今日も池のほとりでは
亀が日向ぼっこをしていた。
とても嬉しそうによもぎをつむ
初老のおばさんに会う。
意識の半分がハイキングを楽しみ
意識の半分は引率に向いてた、というわけで今回は写真は撮ってない。
そのあと、
みんなでお菓子作りをして、
解散。
まぁ、
こういうのもたまにはありよね。
過去にも一度、このような機会があり、
そのときはもっと余裕がなかったと思う。とにかくとても疲れた記憶がある。
いずれにしても、ときどきしか無理。
※
あのよもぎはどうなったのだろうか。
よもぎ餅になったのか
天麩羅になったのか。

※※
口の中かゆい。
※※※※
仕事で
これ、こうしたら、こうなって、こうなるんだろうなというのが
わかるときがある。
そして、ああ、たぶんこれまさに「コンビニ人間」だなと思った。村田沙耶香さんの作品は、
世の中からみて「異常」と思われる状況を書いているけれど、
私は「自分のこと」として理解できてしまうし、読める部分がかなりあるように思う。
社会不適合とはまた違う
ある特定の文脈において
ある特定の役割を理解し、
それを通して動き続ける世の中に
うまく適合することができる
そして、そのことに達成感や幸福感、自己効力感を見いだすことができる。
でも、
その文脈は閉ざされていて、
そしてとても狭い。
一つ道を外れた瞬間に。
そこには、広大で複雑でカオスな世界が広がっている。
恋愛とか友情とかもたぶんそこにはある。
そういったことも気づいている。
健全な異常性というか。
でも、別にいいと思う。
誰かのことを否定せず、
変に焦ったり倣おうとせず、
良いと思うものに価値を見いだし、
それを大事にしつづけることができる。
そしてちゃんと世の中を回す。
世の中の偉人に変わり者が多いのは
「そんなのどっちでもいい」人たちだったからだとおもう。
ただ、どっちでもよすぎて「コンビニ人間」を、読んだり、読んで面白いと思ったりしないかもしれない。
大事なのは、世の中を回すことな気がする。社会になんらかの形で出て、できればお金を稼いだり役割を果たしたりする。
まぁ、知らんけど(笑)
※※
ときどき、
うわ。才能あるな。素敵だなという
漫画やらイラストやらをみつける。
ひとつ母に紹介したら伝わらなかった。
私と私の母は別の人間だから当たり前。
そして、逆もたくさんあるんだと、思う。
今回の私の立場のほうは記憶に残りやすく
母の立場のほうは記憶に残らないだ蝋なと
思った。