TVでトロトラストの特集を見た。
魅力的に見えるものほど、危ない。
アスベストも、フロンも、ラジウムも
「害がなく素晴らしい物質だ」ということで受け入れられた。
すぐには「正体」がわからない。
ちょっとつかれてしまった。
「うつごはん」を作って食べても解決しない。
って、
そんなすぐなおらんね。
パソコンのメモ帳の画面に残ってた
「つかれたしにたいもういやだやめたいきえたいつかれたにげたい」。
---
その日の夜は、寝付けなくて、
Youtubeで、検索して雨の音を流してみたら(3時間くらいあるやつ)、
寝付けないなりに落ち着いて過ごせて、
ずいぶん長いこと雨音を聞いてたと思うけど、
いつの間にか寝てたから
やっぱり、効果があるのだと思う。
ちなみに、寝られないのは鼻が詰まってたせいもある。
イネ科の花粉症なんだろうなと思う。
横になると鼻がつまるから、そのうち、ベッドをせもたれに床に座ってて
最終的には、床で寝てた。
なんか、基本的にベッドで寝るのが苦手なんだとおもう。
ベッドと箪笥の隙間とか狭いところが好き。
==========
「どうしてもがんばれない人たち」を呼んだ。
「ケーキの切れない非行少年」の作者の2冊目。
平易な言葉ですぐ読めて、大事なことがわかりやすく書いていると思う。
困った人は、困ってる人
このフレーズを最初に見かけたのは、いつどこでのことだっただろう。
それと、
この本を読んで、上野千鶴子さんの2019年の東大祝辞を思い出した。
東大のサイトに残っていたので引用する。
あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。
ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、
がんばってもそれが公正に報われない社会が
あなたたちを待っています。
そしてがんばったら報われると、あなたがたが思えることそのものが、
あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったことを
忘れないようにしてください。
あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、
これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、
手を持ってひきあげ、
やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。
世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、
がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。
がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」と
がんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。
あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。
恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、
そういうひとびとを助けるために使ってください。
そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。
女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、
フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、
弱者が強者になりたいという思想ではありません。
フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。
あなた方を待ち受けているのは、これまでのセオリーが当てはまらない、
予測不可能な未知の世界です。
これまであなた方は正解のある知を求めてきました。
これからあなた方を待っているのは、正解のない問いに満ちた世界です。
学内に多様性がなぜ必要かと言えば、
新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、
異文化が摩擦するところに生まれるからです。
学内にとどまる必要はありません。
東大には海外留学や国際交流、
国内の地域課題の解決に関わる活動をサポートする仕組みもあります。
未知を求めて、よその世界にも飛び出してください。
異文化を怖れる必要はありません。
人間が生きているところでなら、どこでも生きていけます。
あなた方には、東大ブランドがまったく通用しない世界でも、
どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、
生きていける知を身につけてもらいたい。
大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、
これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、
わたしは確信しています。知を生み出す知を、メタ知識といいます。
そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。
-------
この文章について、
今、あらためて考える価値がある気がする。
結構、話題になったけれど、どのくらいの人が覚えているだろう。
ここでは「大学は多様でなければならない」ということが指摘されている。
このことに関して、海外では、今、ハーバード大学が大変なことになっている。
これを対岸の火事だと思っていてよいのか。
トランプ氏がはじめて大統領になったとき
あるいはフランスで、極右政党が台頭したとき
完全に対岸の火事だった。
でも、今、そこからたった数年しかたっていないけど。
DWニュースのタイトル
What is behind the rise of the 'Japanese First' far-right?
EUROニュースのタイトル
Far-right 'Japanese First' party Sanseito emerges as fourth-largest opposition force in parliament
日本の大学や会社の多様性が壊されるような状況が、
いつおきても、おかしくないのかもしれない。
※
「がんばれない人たち」の本の話から離れて
違う話題になってしまったようではあるけど、
でも、つながっている話だということを、
この祝辞が証明している。
まずは、
「がんばるということが可能である」
「多くの人が(あるいは、基本的には)頑張ったら報われる」ということが保証される
公正な世界であることを目指さなければならない。
だけど同時に、
頑張れない存在が排除される世の中であってはいけないのだと思う。
「弱者が弱者のままで尊重される」というのは、そういうことだよね。
そして、これは、多様性を尊重する、受け入れるということに通じるはず。
だって、そうでなければ
「マジョリティ」から一度でも漏れた人は
即座に、「頑張っても報われない」「頑張ることが出来ない」状況に陥る。
頑張ったら報われる「社会」は成立しなくなる
私だって、いつ支援される側に回るか。
自分が支援しながら支援されることもあるだろうし、そうなっても大丈夫な社会であってほしい。
※
低所得家庭において「頑張れない」「頑張っても報われない」環境が発生しやすい。
優先的に対応すべき問題だ。
でも、それは「誰かに奪われているから」なのか?
日本人では集まらない時間帯、内容の仕事を外国人が担っている。
その人たちがいなくなったら、
そこに困っている人たちが入れるのか?
そうじゃない。
少なくとも、今、私の会社では、
「採用が難しい」「内定した人を引き留めておくのが難しい」ということが
問題になっている。
たぶん、新しい人やモノをどう受け入れて
どう共生するかについて
知恵をしぼるところに、新しい価値は生じるし、
需要が生まれて、お金や文化も生まれる。
(今だってそれは起こっているはず)
正直、少なくとも、この国においては
外国人の問題は、
本当に困っているところから湧き上がってきた問題ではなくて、
あるいは声を挙げられない人の痛みに、
真摯な誰かが光を当てて顕在化した問題でもなくて
宣伝のために「作られた問題」だと思う。
だから気に入らない。
そういえば、星新一にそんなショートショートがあったような。