Aさんが、仕事に関わる内容の大学の講座を

受けにいってて


そこの単位がとれたらしいんだけど、

異常に喜んでいて引いてる。


すみません、どうしてもこの興奮を伝えたくて!

さきほど成績発表があり、なんと優をもらえました。旧帝大の最高評価とは一生の宝物です!


というチャットがきた。


あっそ。

ちなみに、その大学は私の母校なんだけど、


旧帝大て…

一生の宝物て…


ほんとに

肩書き、権威が大好物なんだな。

そのために時間外にチャットしてくるか?



「くだらない」




と心の底から思ったし、

正直(益々)軽蔑したけど

もちろん口には出さなかった。



しょうもな!って言いたいけど。

でもそういうわけにもいかないから

ここに書いてる。



たぶん、全く同じ授業を無名な大学で受けたらこの人の中では、価値が下がるんだろうなと思う。

まぁ、今回は自分で単位とったからましなのかもしれない。

「○○に行った」「○○の先生に挨拶した」だけで

いつも大ごとになる。



ナチュラルに疑問なのだけど、

権威や肩書きはこの人にいったいどんな

実質的メリットをもたらしているというのか。


本人の肩書きはたしかに収入に比例するだろうが、他人の権威は本人の業務内容とも収入とも独立だし、


それ以上に

他人の価値はその人の価値とは

全くの無関係、完全な独立でしょう。



金魚の糞になったりおべっか使ったりするのは、

なんらかの実質的利益を獲得する狙いがあるのかなとまだちょっとわかる(みっともないだけで)


でもAさんの場合、それとは違って、

「あくまでの自分の名誉?のため」のように見える。

知り合いの権威が上がると自分の権威が上がるように感じているようだ。

理解できない。


なお、知り合いの権威が下がると、

自己と切り離した上で

「指導して(本人曰く)」いるように見える。



ある意味、自己の境界が曖昧なんだろうか。

中村文則さんの掏摸という小説をふと思い出した。



そして、優をゲットしたのはおめでとうなんだけど、この人、そこで学んだこと、ちゃんと使えてるのかなぁ。これまでも、今回の内容に限らず、「感動がいかに大きいか」は何度も聞いてきたけど、

それを活かしてるなという資料もコメントもほとんどないんだけど、逆にそれもすごくないか。