私は性格悪いなって思う。

 

聖人君子ではないから、

こういうことがある度に地味にもやもやする。

 

Sさんのアドバイスにとても時間をかけたけど

そこに対する私の苦労とか、工夫とか苦心とか、

そして時間とか

それらは「Sさんと私」の中にしか存在しない。

 

Sさんはその結果を自分の成果として外に出し、

賞賛を受けたり、第三者からアドバイスを受けたりする。

 

私の苦労の行き先がない。報われ先もない。

 

Sさんが賞賛を受ければ、そこによろこぶべきかもだけど。

Sさんに向けた賛辞はSさんに贈られたもので、Sさんが受け取るべきだ。

 

 

でもさ。じゃあ、私は、なんのためにやってるんだろう。

 

という「もや」っとが時々出てくる。

 

 

それでSさんを嫌いになるということは全然ないのだけど、

ただただ、「もやり」としたきもちが胸に現れるということ。

 

そして、その消化に困るということ。

(気持ちを否定するのはよくなくて、溶かす必要があると思ってる。)

 

 

ーーー

 

良くも悪くも、

指導をしているときって

目的は「研究報告書をよくすること」であり

「Sちゃんを変化させること」ではない。

 

だからこそ、私は手を抜くことができない。

だって、不正解と正解が、ここにあるんだもの。

その値の解釈はおかしいよ。

その結果とこの結論は矛盾しているよ。 ということ。

そこは「人それぞれだから」とか「好みだから」とかじゃなくて

指摘する「必要がある」。

 

とはいえ、

Sちゃんのレポートを私のレポートにしてしまうことは不適切だし、

Sちゃんを傷つけることは、研究の正当性とは別次元で大事な禁止事項だ。

だから、言い回しに気を付けながら、個人の誇りとか価値観を傷つけないように

注意を払いながら指摘しなくちゃいけない。

 

それが山ほどある。

そう。山あることこそが問題。

 

ちょっとなら、全然いい。

 

でも、実際はそうでない。

 

現に

自分の報告書よりも、彼女の報告書に私の時間を費やしている。

 

こういうこと(研究的な正しさの保証)を「適当で区切る」のは難しい。

 

もちろん指導によって得るものもある、

責任が伴うから裏を取るために再勉強もする。

 

でも、「報われるもの」と「報われないもの」の量の乖離が大きすぎる。

 

ーーー

 

誰かが知っていてくれたらよいのだけどな、と思う。

 

たぶんそれは難しいことなんだろうな。

 

 

そして、世の中にはそういう「みえない努力・貢献」が

ものすごくたくさんあることに

もっと感謝しないといけないのだと思う。

それを私が知らなすぎるから、今「知りなさい」と言われているのかもしれない。

 

たとえば、私自身も知らずにいろいろな恩恵を受けていて、

他人の恩恵を自分の手柄にしているのかもしれない

 

まあ、研究活動の面で、

こんな感じの指導を必要としたことは一回もなくて

(誰かから指導を受けるのが嫌、本とかで学びたいというのもある)

もやもやしてしまうのではあるけれど

 

少し視野を広げると

オフィスを清掃してくれてる人がいたり、

通信環境をメンテナンスしてる人がいないと仕事はできない。

学生の時も家庭のサポートがあったから学生生活ができていた)

それに、今、すごく幸運なことに、

得意なことを仕事にできている「だけ」ということに尽きる。

方向感覚だとか、機械の働き方に関することだとか

そういうことが必要な(そういう領域の方がはるかに多いと思う)ことを

やる必要が生じた瞬間、私は人に迷惑をかける。

 

誰かがそういうことをやってくれているから、

私は、今いる領域で存在することが許されている。

 

そういう大事なことを忘れて、居丈高になって、自分が偉いと錯覚するから

より、不満を感じるのかもしれない。

 

 

そして、

こういう「隠れた第三者」の貢献について

「よく見える」ようになる必要があると思う。

 

私がSちゃんをサポートしたように、

AくんがMくんをサポートしていた。

Mくんのレポートを見るときに、私は(私だけでも?)

Mくんの努力をたたえるとともに、Aくんの努力をたたえるべきだと思う。

 

他のことについてもそうだな。。。

 

ーーー

この「もやり」という気持ちの扱いを間違わないようにしたいと持ってる。

 

適切だろうと不適切だろうと、

いないものにしてはいけない。

かといって、囚われてもいけない。

溶かすか、利用して乗りこなすか。

 

 

 

ところで、なんだけど。

リフレーミングについては昨日考えさせられることがあった。

 

1か月ほど前に、Pさんが部下のAさんに

来年度の活動目標・計画(要は「やりたいこと」)を1000字くらいで

まとめて報告するように指示したそうだ。

 

(たぶんPさんは3日後くらいには持ってくると思っていたと思う。)

 

でも、どういうわけか、

それは、Aさんには1か月たっても終わらせられない難しい宿題であるらしい。

 

関係しそうな文献を山ほど収集しうんうんうなっている。

かと思うと、文献を読むのをやめて新たな文献を山ほど収集している。

自分のテーマの答えは文献に載ってないよ。

自分で決めて、それを進めるヒントをさがすために、

あとで文献探せばいいと思う。

 

なので、そのように1か月悩むこと自体も謎なのだけど。

 

とにかくAさんが、昨日私に話しかけてきて、

 

かくかくしかじかでPさんから指示を受けてとても苦しんでいるんです。

文献を読んで頑張ってるんですけど結果がでなくて。。。

(私は聞きながら、

 1000字の計画書は「1か月頑張って結果だす」ものかな。

計画書作ってから頑張れば?そのあとで、

すでに研究されてたとか、困難な点がわかったとかで

軌道修正すればいいんじゃないのか?」???と内心思ってた)

 

でも、昨日、Qさんとたまたま話してて、

悩んでる時間は苦しいけど、

後で貴重な時間だったと思うものです、という有難い話を聞きました。

引き続きこのまま頑張ります!!

 

と目をきらきらさせながら話してくれたので、ちょっと複雑だった。

 

いや、今回の場合は、

努力の方向が間違ってない?

Qさんの話は確かによいはなしだと思うけど、

Aさんの場合は

「現状を否定したくないがゆえの間違った正当化」ではないだろうか…

Aさんにとって、都合のよい事実だから、すんなり受け入れられている。

 

 

「気の持ちよう」「リフレーミング」というけれど。

今の行動・態度を肯定するための理由探しではなくて

よくないものはよくないと

判断できないといけないな、とも思った。

 

めんどうなので、Aさんには

「そうなんですね、Qさんって素晴らしい方ですよね」しか言ってない。

(自分の性格がよくないことはよく知ってます)

 

 

というわけで、この「もやり」の解決のためには

 

もしかしたら、「気の持ちよう」ではなくて

環境を変えたり、モノや人に働きかけたりする必要もあるかもしれないことを

視野に入れておこうと思った次第。

 

 

©ミステリという勿れ

 

 

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(以下、性格悪いついでに)

 

◆ IngrainedにつづきSさんから勝手に学ぼうプロジェクト第二弾

  ↑

 ingrained :根深い、染み込んだ

 以前、Sさんが、統計関係で、とある根本的で重要な誤解をしていて、

 指摘するたびに「あっ、なるほど、そうだったんですね」となるけど、

 1か月とかたつと忘れてて、かれこれ4回か5回か

 指摘しているという話を、英語の先生にしたときに教えてもらった単語

 

tangled: 絡まった

untangle:絡まったものをほどく


When I first read her report, I was terribly confused.
First, I identified what her main arguments were (though some were unsuitable as research claims).
Then I picked out which parts related to the arguments and organized them.
“Ah,” I thought, “this is like untangling a knotted necklace.”

 

彼女の報告書を初めて読んだ時、私はひどく混乱しました。
まず、彼女の主な主張が何であるかを確認しました。

(ただし、研究の主張としては不適切なものもいくつかありました)。
その後、どの部分が主張に関連しているのかを拾い出し、整理しました。
「ああ、まるで絡まったネックレスをほどくようだな」と思いました。

 

ちなみにディズニー映画の塔の上のラプンチェルはTangledという英語名。
長い髪はもつれるし、

彼女の人生も歪められこんがらがっているということを象徴しているとのこと。

Frozen(アナ雪)のネーミングと通じるものを感じるね。