朝起きて。
胃がきりきりしていることに気が付く。
とはいえ、耐えられない痛みではない。
そしてぐっすり寝てた。10時くらいまで。
ねじまきにとらわれる。
だいぶん、整理できてきた気がする。
現時点。
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くみこさんは、「行動」や「感覚」の主体である。
それは、A|自分という枠にとらわれない純粋な能力・感性に拠るときもあれば、
B|自分とはかくあるものであるという同一性に拠ることもある
多くの場合、AとBはバランスが取れていて、気になることはないけれど
そもそもこれらは変容していくもので、時々バランスが崩れることがある。
それが深刻であると、「アイデンティティクライシス」という状況になる。
ワタヤノボルはBを壊してAを開放するものであり、
オカダトオルはBを構築するものである。
ワタヤノボルは、
AとBのひびのようなもの、ずれのようなものを感知して、
そこからBをこじ開けることができるのだと思う。
でも、それはとても危険なことだ。
そして、クミコさんに象徴される、感じる「主体」というのが大事で、
主体というのは、
実体もないし、保証・証明もないし、説明のつかないものであり、
間宮中尉が光の中でつかもうとした 生きている何か だったのではないか。
もし、そこでつかみ取れてたら「肉体と能力と自我の完全な統合」みたいなことが
実現できていたのではないか。
「私」と「私」が完全に一致すれば、それはすごく素晴らしいことだ。
だけど、それは不可能なのだと思う。
※
ここは(も)、私にはまだよくわからないのだけど、
なぜワタヤノボルはクミコさんが必要になったのだろう。
クミコさんが失踪してから、
ワタヤノボルは現実世界に大きな「実質的な影響力」を持つようになる。
大衆を動かして、大きなこと(戦争のような)を起こすようなこと。
あるいは多くの人を「支配する」というようなこと。
一貫して、「ワタヤノボルの目的がわからない」という主旨のことが書いてある。
支配そのものが目的なのかもしれない。
支配される人たちは、自我はあるのかもしれないけれど、
自ら考えず、テレビの言うことを信じている。
それはそれで個人のありようとしては、色々損なわれている気がするけど。
※
「顔のない男」は、オカダトオルさんの味方になって、助けてくれる。
彼は顔を持たない。
顔とは、自分自身や周囲が、その人をその人だと決定づけるもの。
つまり、顔のない男は、「あなたは誰ですか」に答えることが出来ない。
「私はうつろな人間です」
意思を持ち、行動することができるけれど
自分が何者であるかを、自分でも持つことが出来ないし、
他の人からも定義されることが出来ない。
間宮中尉は、あるいは加納クレタ(だった人)は
他の人から見られる姿かたちを持っていて、
行動や感覚の主語としての意識を持っているけれど
そこには『実感』が欠如していて [損なわれた] という感覚をいだいている。
事故の前のクレタは
「痛みを感じる主体」であったけれど
痛みが強すぎて、生きることが出来なくなっていた。
単純で、日常的で、直接的で、物理的な、
そして、それ故に、
より切実な痛みのことです。
苦痛は私の影のようなものでした。
TANGIBLE
※
クミコさんは、オカダトオルに救い出されるわけだけれど、
その救出の過程は、かなり「暴力的」である。
物理的にもそうだけれど、
論理的にも。
私が、一番最初に、この小説を読んで、
いちばんわからなかった、というか期待外れにすら感じたのはそこで。
今となっては、私の理解力が足らなかったからこその疑問だったということがわかる。
当時は、とても大事なところなのに、なぜ、こんなに乱暴なんだろうと思った。
後で種明かしが続くかと思ったら、それもなかった。
でも、説明されてはいけないことだったのだと思う。そのことについて、登場人物の多くが、言葉を尽くして、その不可能性を説明しようとしている。
「私は本当にくみこさんなのかしら?」
僕はそれに不安を感じつつも、
決意を固める。
そして、僕が「君がクミコだ」ということによって
クミコさんが救われる。
おそらくクミコさん個人ではそれは成しえない。
自己同一性は「自己」といいつつ「よそで作られる」ものである。
この乱暴さは、なんだか「受胎告知」みたいだ。
あるいは「神」や「母の愛」みたいだ。
多分、結局のところ
「信じるしかない」
が答えなのだと思う。
たぶん、 実体がない・本物はない というのが正解だから。
私たちが生きる上で一番大事なことでありながら、
それは誰にも証明なんてできない。
そういう、ある意味でものすごく不安定なものに、
私たち自身も、私たちの世界も、立脚している。
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だめだな、そろそろ、タイムリミット。
文豪とか、小説家といわれる人たちは、
私よりずっと若くて作品を書いていて、
私は、いまだにずっと、
その人たちが伝えたかったことをきちんと理解できてなくて
みっともなくこの世の中にしがみついている。
↑
こんな発想に至ること自体、
きっと私が傲慢だからなんだろう。

