先日、ずるいという感情について書いた
そんなふうに、気持ちを考えることは、興味深いし大事なことだと思うけど、
一方で
このエピソードを描写した作家さん自身が、
一種の驚きをもって、この感情について考察している
というのは
とても興味深い。
これはつまり
小説家にとって大切なのは、
気持ちを分解して理解することではなくて ←これは (多くの立場の) 心理学者がやろうとしていること
適切に 「ある状況」「ある複合的な感情(表出する反応も含めて)」を取り出して光を当てて適切に描写する力
ということになる。
常に感じることだけど、
「核」みたいなものを取り出そうとしたり、
結びつきをほどこうとしたりすると
それは正しくても大事な要素が欠落する。
それは、2^3=8 と 2*4=8 の違いのようなものかもしれない。
心理学者じゃないとできないことと
小説でないとできないことがあって、きっとそれは、それぞれ「別の」話なんだ。
※
私自身が、あそこで描写されたエピソードと同じことを経験し
でもそれを、(つらかったけど)大事にしたくて、
そのまま持っていた。
そういうのを、「そのまま、うまくエッセンス」として抽出して
誰かと共有するのが小説であって、
そのエッセンスには、何かの溶液のように
「文脈」が必要なんだよね。
まるでホルマリンに浸かった心臓のようだ。