先日、ずるいという感情について書いた

 

そんなふうに、気持ちを考えることは、興味深いし大事なことだと思うけど、

一方で

 

このエピソードを描写した作家さん自身が、

 

一種の驚きをもって、この感情について考察している

 

というのは

とても興味深い。

 

これはつまり

 

小説家にとって大切なのは、

気持ちを分解して理解することではなくて ←これは (多くの立場の) 心理学者がやろうとしていること

 

適切に 「ある状況」「ある複合的な感情(表出する反応も含めて)」を取り出して光を当てて適切に描写する力

 

ということになる。

 

 

常に感じることだけど、

「核」みたいなものを取り出そうとしたり、

結びつきをほどこうとしたりすると

 

それは正しくても大事な要素が欠落する。

それは、2^3=8 と 2*4=8 の違いのようなものかもしれない。

 

心理学者じゃないとできないことと

 

小説でないとできないことがあって、きっとそれは、それぞれ「別の」話なんだ。

 

 

 

私自身が、あそこで描写されたエピソードと同じことを経験し

でもそれを、(つらかったけど)大事にしたくて、

そのまま持っていた。

 

そういうのを、「そのまま、うまくエッセンス」として抽出して

誰かと共有するのが小説であって、

 

そのエッセンスには、何かの溶液のように

「文脈」が必要なんだよね。

 

まるでホルマリンに浸かった心臓のようだ。