あしながおじさん

の原文を買って、長らく積ん読してしまった。


今日ふと

最後の手紙と何個かの手紙を読んでみた。

 



昔、小学校のころに、うちに

日本語の「あしながおじさん」の本があった。


あの本は

おそらく小学校低学年でも読めるように

監修されていたはずだけど、


かなり原文に忠実だったんだな


あの本にこの文(の訳)あったな、

と思うタイミングがたくさんあった。

30年くらい前だと思うけど

よく覚えてるもんだなぁ。


ストーリーというより、文章を覚えている。

「これは、わたしが生まれてはじめて書いたラブレターです。私が書き方を知ってるなんて、不思議でしょう?」



で、そもそも、なぜ今さらこの本を買ってみたかというと


先日、偶然、アニメの再放送を目にして


えええ、こんな話だったの??!!と驚き、

確かめたくなったから。

(その際に、ついでなので勉強用に原文を買ってみた)


でも

結局、私がびっくりしたシーンはどこにもなさそう。


つまり、完全なるオリジナルストーリーだったということ。(もしかするとアニメの元になった二次創作は他にあったのかもしれない。ミュージカルとか。あり得る話だ。)


後で思うと、あのアニメはすごく脚色編集改変されたものだったみたいだ。

ちなみに、そのアニメはものすごぉぉく教育的だった。



でも大変丁寧に作られていて、本文中に出てくる手紙の文面が、正しい英文で、正しい筆記体で表現されていたのには驚いた。


そして、そのアニメが伝えようとしたメッセージも素敵なものだったと思う。

彼女は、スピーチの場で自分が孤児であることを告白する。孤児であることではなくて、そのことをひがんで卑屈になったことこそが恥ずべきことだった、と聴衆に訴える。


実際のウェブスターのあしながおじさんの主人公はそこまでヒーローチックでない。


孤児であることがコンプレックスで、プロポーズを受け入れられなかった。

彼女はその思いをあしながおじさんに吐露するのだけど、実はあしながおじさんこそが、プロポーズをしてくれたその人だった!

という幸せな驚きで物語は終わる。


卒業式のスピーチなんてない。




ちなみに


私は圧倒的に原作が好きだ。

とある町の片隅で、

とある誰かが、そっと別の誰かに救われる。


これはそういう素敵な救いの物語だと思う。

だからこそ普遍性があって救いがある。


みんなのヒーローである必要なんてない。

どこかで何かの機会に誰かを救うことができれば、それだけで十分素敵なことだ。



「大事なことは小さな声で語られる」

これは村上春樹のねじまき鳥クロニクルより。