●日本語で、ある程度概要を読んで
そのあと、英語でGeminiに聞くと
復習と英語の勉強が同時にできて一石二鳥かもしれないな。
●まじめメモ
研究倫理の整備の嚆矢は
ベルモント報告書Belmont Report in1978
ここで示された3つの原則は、現在も様々な法的その他の決まりの礎石になっている。
①人間の尊重
②有益性
③正義、公正さ
研究とは、そこで得られた知見が「普遍性」を持つことを必要条件に含む。
普遍性とは
①その手続きがオープンになっておりみんながアクセスできること
②サンプルの抽出にバイアスがかかっていないことにより保証される。
ただし、これらを確保する過程で上記の3つが損なわれてはいけない。たとえば、情報開示の際にプライバシーが侵害されてはいけない。
研究は、利益を得る人と、犠牲(労力やデータの提供)を払う人が異なるので注意が必要。
(この状態は「搾取exploitation」に該当する)
犠牲はゼロにはならないので、許容範囲かどうかで審査される。
許容範囲かどうかは、利益の大きさと比して決定される。そのため倫理審査では目的や期待される効果についても申告する必要がある。
COIは、三原則のうち「公正さ」に関連する。
利害関係の衝突はあってもおかしくないので、
申告し管理すればよい。
管理の際の観点
・研究を評価する人が、利害関係についての情報を得ていること(=権利)が大切。評価が歪まないように。
・研究者自身が自分達を律することは当然大事。私利私欲に走ってはいけないし、忖度してもいけない。
●まじめメモ②
アフリカで使われている言葉は2000以上。
しかも複数の語族を含む多数の言葉が「母国語」として使われており、それによって「公用語」が必要になったことで、さらに言葉が増えた。
スワヒリ語は、そもそも誰かの母国語ではなくて、リンガフランカとして発展した言葉である。
●そんなアフリカの出身の人と、先日話す機会があった。最近日本にきた。最も驚いたことは電車で誰もおしゃべりしないこと(これは外の国の人もよく挙げている)。あと日本人が全然英語を話せないこと(←お恥ずかしい話よね)
あと、スコールはあったけどすぐ乾くし、傘というものを持ったことがないと言っていた。
●で、アフリカすごいなと思ったけど、
そういえば、よく考えたら日本人も日本語しか使えなくなったのは最近なんじゃないのか。書き下し文って「リンガフランカ」なんじゃないの?と思って調べたら、やっぱり【漢文】はリンガフランカであって、それが日本の発展を支えたとあった。なお、その流れで内田樹氏の文章に行き着く。え、めちゃくちゃおもしろい(ちょっとボリュームすごくてすぐには読めなさそうだけど)
もはや漢文(繁体字)は中国でさえ使ってないし、外の多くの国が漢字を捨ててしまった(ハングルとかベトナムとか)から、漢文の価値はなくなってしまったけど。
●英語の先生が、「最初のレッスンではその子のパーソナリティの把握に努める。パーソナルカルテを渡されるけど得られる情報は限定的だからね」と言っていたから、「この子からまた指名されるなってわかるものなの?」と聞いたところ
「いやそれが、全然わからないんだよ。うわー、しっぱいしたなと思ったらまた予約してもらえることもある、逆もある。諦めてるよ」と言っていた。
ふむ、興味深い。
一つあるかもと思うのは、ネイティブの人の中には、字が全然よめない人が結構いる。せっかくノート貰っても読めないんだよね。私の場合はそれが決め手になったりする。
●超ぐち
(愚痴って私はしょぼいですの証明だよねえ)
今日もAさんから1000字超えの勤務報告をもらったけど、
やったことは「業務チャットのチェック」「各種返信」「資料の整理」とのこと。
残りは体調が悪かったのに頑張ったという話。
うん、えっと。
任されてること、進めてね
「◯◯の案件は明日こそ開始します!」と書いてたけど、頼むよ。。。
そして
ほんとは私だって体調が悪い。とても。
みんな言わないだけで体調がよくない日もあるはずだ。
Aさん用にAI雇いたいな。私の代わりに優しく返信してくれるやつ。
この人、過去に
「じぶんは職場でお荷物なんだ」ということを
痛感した経験があるんだと思う。
【おとなの発達障害】の典型なのかも。
これは私の想像だけれど何度もなんで出来ないんだと言われてきたのだと思う。
そうなんだけど、
同時に、
この人は、自分自身に対する強い愛着を捨てられない。自信も、ものすごく大きい。
(自分が登壇する資料の冒頭に自分の顔写真付のスライドを設定したり、「ぼくの意見なんて誰も必要ないでしょうけど送ります」と、わざわざものすごくねへりくだった長々とした説明書きをつけつつも資料を添付したメールを、職場の全員に送付する感覚が本当にわからない)
「とめられない」んだろうなぁ。
……
自信があって提出したものを酷評されたり
簡潔に!と指導されたりしすぎた
結果、滑稽なほどへりくだりながら
人以上に自分自身をPRする
コンフリクトな状態が
このひとのデフォルトになっている。
そして
それが異常なオーバージェスチャーと誇大表現で繰り広げられるので、
失礼ながら
この人をみてると
熱帯植物園で
特殊で巨大な
ビビッドカラーの植物を
鑑賞しているような気持ちに
なる。