老婆心。

 

時々おすすめされるブログが久しぶりに更新されていた。

 

心機一転がんばるそうだ。よかった!

 

頑張ってね

 

そして、今目指すことにきめた「新しい場所」を

現実のものにできるために、そしてそのためには、

夢を見続けないように、気をつけてほしいと思った。

 

 

結婚できてたら幸せだったはずなのに…とか、

今頃もっといい会社にいけてたはずなのに…とか

もっといい家庭に生まれていたら…とか

彼女は 「たられば」と「現実」を同じ土俵で比較する癖があるような気がするから。

 

今、目指す新しい世界がきらきらしてるんだろうな。

そしてこの子はそういうキラキラの夢に向かって頑張る力はものすごくあるんだろうなと思う。

 

ただね

「知らないからこそ、キラキラしてる部分」が、たぶんあるよ。ぜったいある。

どんなことに対しても。

 

同時に、

 

知らなかったけど、もっときらきらしてる面白いこともあるよ。

後者を大事にしつつ、前者を受け入れて、がんばってほしいなと思った。

 

まあ、そしてこういうのを「老婆心」というのだと思う。

Mind you own business!(余計なお世話)

 

(本人に伝えるつもりは毛頭ないのだけれども)

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で、偉そうなことを書いている私が、

成熟した人間あるいは

安定した人間かというと、もちろん全くそんなことはないわけで。

 

 

「お金があるなら、働きたくない」とか
「異性と付き合いたい」とか
 

そういうの、たぶん、ある意味で自信があるんだよ、と私的には思う。
あくまでも「ある意味で」ね。


まともな人間関係を築ける気が全くしてないからこそ

自活できるお金を稼ぎたい(※お金持ちになりたいと全く違う)し
なるべく誰かに頼らず生きていたい

と思っている。

その前提で、誰かと喧嘩したりせず、平和に生きていたい。

 

あれは小学校高学年だったか中学校だったか。

 

七夕の短冊を書かなくちゃいけなくなって、

「なんとかなりますように」と書いたのをよく覚えてる。

嘘をつくのはよくないとおもって、

私なりに、まじめに、真剣に、真摯に考えた願い事がこれだった。

 

 

なんとかなりますように。自分の足で生きていけますように。

 

その時からわたしは何も変わってない。

 

幸い、今までなんとかなってきた。

 

でも、毎日帰ったら「何とかなってよかった、ありがとうございます」と拝む(実話)

そういう風に考えると、

私は「たまたま」要支援の枠に入らないで生きているけど、
問題を人としての欠陥の大きさで測るならば

問題の大きさ的には、私はまあまあでかいんじゃないかと思ったりする。
 

でも、問題の大きさというのは「支援が必要か」で測るべきことのような気がするので

そういう意味ではいまのところは問題は小さいのかもしれない。

私は「根」がないんだろうな、と心から思う。
 

フラフラと生きている。
根がないからこそ、無駄にがむしゃらに頑張るんだよね。



でも、まあ、私なりに楽しいこともあるし。好きなものもある。

明日も無事に終わればいいなと思う。

 


それに。あんまり愛とかわかってなくて

単に「家庭に入り家庭での義務を果たす」という感覚の人は
絶対に多いはずだ。


「女は家庭に入る」が99%の世の中だったら
あんまり恋愛感情が「機能するか」は関係なかったんじゃないか。

というか、ふつうに家同士が決めた結婚とか多かったわけだしね。

 

あと、Mちゃんが以前

(Mちゃんは私の「変な人」仲間なので笑、彼女は彼女で一般的ではないけれど)

 

生物として

「生物としての義務」として結婚しないといけない気がしてた

と話してくれたことがある

彼女は結婚しているけど、

たぶん彼女も夫も「ひとりで生きる」タイプの人で

なんというか「協力、協働するために2名の”ひとり”が一緒にいる」という感じに見える

 ↑それはそれでとてもかっこよくて素敵だと思う

 


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ナイジェリアで何百人も誘拐された

 

というニュースが、ドイツの番組で流れている。え。まじで…


日本では報道されていないような気がするのだけど。