どこかで紹介されていて積読していた本です。
筆者が実父を介護した体験をもとに書かれた本ですが、小説仕立てで読みやすくわかりやすかったです。
一番の感想は、
「昔は家で死ぬのが当たり前だった(と思う)けど、今は家で死ぬのは大変だ」
です。
介護やケアの問題はもちろんですが、終末期から臨終まであまりにも知られていないことが多いと思いました。例えば、在宅介護、尊厳死、自宅で死ぬなどとセットで「枯れるように静かに逝く」という話をよく聞きますが、そんな話ではないようです。やはり死に際は本人は壮絶に苦しみます。その様子を家族は見ていられないと書かれていました。ここで救急車を呼ぶと病院で看取ることになります。家族は救急車を呼ばずに耐えられるか。耐えたとして、トラウマにならないか。
亡くなった後も大変です。死体を運び出さなければいけません。例えばマンションだった場合はエレベータを使えるのか(充分な広さがあるか、苦情がこないか)。一軒家でも同様の問題がおきます。搬送車をとめてストレッチャーを出し入れできる場所が必要になります。近隣の駐車場に停めて公道を歩いて運ぶ場合は通行人への気遣いが必要になります。
※半年ぐらい前でしょうか、今のご近所さんで引越しのご挨拶にもいった家の方がなくなりました。亡くなった後、病院から自宅に運んで安置、そこから斎場に運ばれたようですが、ご家族の方が非常に気を使われていました(夕刻や早朝の出入り)。勿論、駐車や作業の兼ね合いもあると思います。私は亡くなった方とは面識がありませんでしたが、ご家族の方に道でお会いしたのでお宅に伺うご都合を聞いたら、「死体を見るなんて気持ちが悪いでしょうから、どうぞ気を遣わないで。」と言われました。「気持ちが悪いだなんて。。。」と思いましたが、今から考えると、そういう事情からでた言葉だったのでしょう。
だから病院や施設で死ぬのが良いという話ではありません。
高齢化社会なのに、死が遠くにあるという奇妙な状況だと思いました。
お口直しに、明るめな話も書きます。
スーパーや病院でスーツやお洒落着を着て歩いている高齢者をよく見かけます。「どうしてこの恰好?」と思っていたのですが、
そもそも父はOクリニックへ行くことを、「ハレの場」のように捉えていた。律儀にワイシャツと背広を着る。整髪剤を使って髪を整え、丁寧に髭を剃る。足のむくみがひどくなる前は革靴まで履き、お気に入りの帽子をかぶって玄関の鏡で入念なチェックだ。
と書かれていました。
そうだったんですね。私はこういう姿勢は好きです。これから街で見かけたら心の中で敬意を表そうと思いました。