回顧録 Vol.3 PITTIじゃなくてパリのSEHM(前編)
今ではヨーロッパの展示会と言えばPITTI UOMOが有名ですが、90年代中頃まではヨーロッパ最大の展示会と言えばパリのSEHM(セム)でした。
私自身、1989年に初めてヨーロッパに出張に行ってから7~8年くらいはヨーロッパのバイイングはSEHMが中心で、それに合わせてパリやロンドンのショールームを回るのがルーティーンだったので、自分にとってバイヤー駆け出しの頃の色々な思い出もある展示会です。
ファッション業界でSEHMを知る人も少なくなってきたので、今回は1994年と95年のSEHMの画像をお見せしながら、当時のSEHMがどんな雰囲気だったのかお伝えしたいと思います。
SEHMはパリの15区にあるPorte de Versailles(ポルト・ドゥ・ヴェルサイユ)駅にあるPARC DES EXPOSTIONS PORTE DE VERSILLESという総面積が36ヘクタールにもおよぶ広大な展示会場で行われていました。
今の展示会場のエントランスです。
外観は当時と全く変わっていません。
日本で言えば当時は晴海国際貿易センター、今で言えば東京ビッグサイトか幕張メッセという感じでしょうか・・・
広大な展示会場を碁盤の目のように仕切ってブースを設けていました。
ブランドのブースとシーズンテーマを展示しているコーナーはこんな感じでした。
なんとなく雰囲気を感じていただけましたでしょうか。
会場の規模感がわからないと思うので、最近のなにかの展示会の画像をお見せします。
PITTI UOMOしか知らない業界の人は会場の大きさに驚くと思いますが、この広さのホールに碁盤の目のように整然とブースが設けられていました。
当時SHEMでは色々なブランドをバイイングしていましたが、いくつかのブランドの画像とその背景などをご説明します。
AUSTIN REED
同じグループのシャツブランドのSTEPHENS BROTHERSを80年代からバイイングしていて、同じくパリでバイイングしていたOLD ENGLANDのブレザーをAUSTIN REEDが生産しているのがわかり、その後AUSTIN REEDのブレザーをBEAMS Fネームでバイイングするようになりました。
そのような経緯と、当時英国調の流れがかなり強かったこともあり、ツイードのバルカラーコートやカバートコート、ツイードのウェストコートなどもバイイングしていました。
当時AUSTIN REEDはロイヤルワラント二つ持っていたので(チャールズ皇太子・エリザベス女王)SEHMでも大きなブースを構えていました。
ちなみに、この後同じAUSTIN REEDグループのレインコートブランドであったWRIGHT&PEEL(ライト&ピール)を展開し、テーラードのトップラインであるCHESTER BARRIEに型紙を持ち込んでBEAMS Fのオリジナルを作ったりと、90年代はAUSTIN REEDとの繋がりは深いものがありました。
GRENFELL
GRENFELLは当時パリのOLD ENGLANDやMARCEL LASSANCEでも展開されていてBEAMSでも人気のブランドでした。
当時BEAMSでは定番のバルカラーやトレンチコート、ショートブルゾンのGOLFERやKENT、ハンティングジャケットのSHOOTERなどを展開していましたが、この頃は英国調の流れが強かったこともあり、こんなツイードのバルカラーをバイイングしていました。
ちなみに、GRENFELLの定番でもあるショートブルゾンのGOLFERをBEAMSでバイイングするきっかけは、MARCEL LASSANCEで展開しているのを見て、それがMARCEL LASSANCEの別注ではなくGRENFELLの定番だと知ったのがきっかけでした。
そのように、当時は英国ブランドであってもロンドンではなくパリで見つけて展開することも多かったのです。
GRENFELLは当時ロンドンにショールームはなく、SEHMでオーダーするかロンドンのオックスフォードストリートの近くにあった間借り?のスペースに工場からサンプルを持ってきてもらってバイイングするという時代でした。
TRADITIONAL WEATHERWEAR(MACKINTOSH)
現在のTRADITIONAL WEATHER WEARはMACINTOSHのセカンドブランドようなブランディングでアジア生産が中心のブランドですが、当時はオーダーの際にTRADITIONAL WEATHER WEARかMACINTOSHのネームを選ぶことが出来ました。
当時日本には代理店がなく、SEHMでオーダーするかオーナーであるROBIN BEACH氏が来日した時にオーダーするしかありませんでした。
このブラックウオッチのカーコートは当時私が一目惚れしてバイイングしたものです。
ショート丈でスラントポケットというディティールも刺さりました。
当時ゴム引きのカーコートはパリの定番で、HERMESやHEMISPHERS、OLD ENGLAND、MARCEL LASSANCEなどで展開されていたので、自分のこのコートのイメージはブリティッシュというよりもパリのイメージでした。
ちなみに、今シーズンMACINTOSHでHUMBIEというモデルを展開していますが、それがこのコートに似ています。
少し着丈は長いですが、当時のモデルのアップデート版という雰囲気が感じられます。
なので、自分的には少しフレンチっぽい雰囲気を感じさせるコートなんです。
MARK STEPHENS MARENGO
このブランドは、イタリア系英国人のMARK STEPHENS MARENGO(マーク スティーブン マレンゴ)氏がネクタイからスタートしたブランドです。
当時パリのARNEYSやナポリのMARINELLAのネクタイも生産していて、その後ジャケットやスーツ、シャツまで展開し、2008年にはSAVIL ROWの31番地に店をオープンしました(2018年に閉店)。
画像のブレザーは当時バイイングしたもので英国のファクトリーで生産されたものでした。
上ふたつ掛けのボタンが当時のブリティッシュスタイルの典型的なスタイルで、当時はイタリアのブランドでもこのようなモデルを多く展開していました。
ちなみに現在もMARK MARENGO BESPOKEというブランドでネットを中心にブランドを展開しています。
SCIENCE
パリのMARCEL LASSANCEの定番であったモッズコートを作っているブランドということで有名だった英国のSCIENE(サイエンス)。
モッズパーカだけでなく、BARBOURのBEDALEのような定番的なモデルからBELLSTAFFのライダースタイプのジャケット、ファイヤーマンコート等々、様々なモデルを展開していてBEAMSでもモッズパーカやBEDALEタイプのオイルドコート、BELLSTAFFタイプのライダースジャケットなどをバイイングしていました。
この当時BARBOURやBELSTAFFはすでに日本でもバイイング出来ましたが、BEAMS的にはリアルな直球ブランドよりもSCIENCEの方が洒落ているという認識でした。
英国のトラディショナルなアウターを作るブランドでありながら、デザイナーズブランドのようなテイストもあるミックス感がBEAMSにとっては魅力でした。
当時日本の業界人にも人気のあったMAECELL LASANCEのモッズコートを作っているブランドという引きもあって、BEAMS以外のセレクトショップでも多く展開されるほど人気のブランドでした。
PLUVEX
当時BEAMSのロンドンオフィスのスタッフ(現高円寺のMOGI Fork Artのエリス氏)からアメリカの高級百貨店のオリジナルを生産している良いファクトリーブランドがあると紹介されたのが、このイタリアのPLUVEX(プルベックス)というブランドでした。
アメリカの高級百貨店のオリジナルと聞いてピンとこない人も多いと思いますが、当時BERGDORF GOODMANやSAKS FIFTH AVENUE、NEIMAN MARCUS、BARNEYSなどの高級百貨店のオリジナルの生産を請け負うことは、ヨーロッパのファクトリーにとってはとてもステイタスがあることだったのです。
PLUVEXはミリタリーテイストのアウターから英国風のブルゾン、定番的なバルカラーまで様々なモデルを展開していました。
生地に特徴があり、コットンに化繊を混ぜたようなイタリアらしい素材使いも当時英国ブランドのバイイングが主だった自分にとっては新鮮でした。
この頃まだイタリアの貨幣がリラだったこともあり、プライスも信じられないほど安く、BEAMSの顧客様にもとても人気のあるブランドでした。
そして、当時のBEAMS Fはイタリアのブランドをほとんどバイイングしていなかったので、数少ないイタリアブランドのひとつでした。
NEW ENGLAND
英国のニットブランドと言えばクラシックなニットブランドしかなかった当時、女性デザイナーがデザインするアップデートされた英国のイメージが気に入ってバイイングしました。
改めて見るとアーガイルもボーダーも今あってもおかしくないテイストのニットです。
一番下のサックスブルーのベストは2000年代に入っても着ていました。
今あったら面白いニットブランドではないかと思います。
BILL AMBERG
当時インターナショナルギャラリーでバイイングしていたBILL AMBERGのバッグ。
英国人デザイナーのバッグと言えばBILL AMBERGと言えるほどBEAMSでも人気のあるブランドでした。
自分がバイイングしていたわけではないですが、いつもSEHMの会場で上司と一緒のコレクションを見ていたので、BILL AMBERG=SEHMというイメージが今でもあります(その後PITTIにも出店していた時期はありました)。
BILL AMBERGと言えば、このROCKET BAGが代表作です。
BEAMSでも大人気のモデルでしたが、今も作り続けているようです。
最近日本ではあまり見かけなくなりましたが、今もブランドは継続しています。
今も変わらず英国で手作りで生産されているようなので、ご興味のある方はホームページをご覧ください。
DRAKE'S
DRAKE'SもSEHMの常連で、私が初めてSEHMに行った1989年にはすでに大きなブースを構えていました。
DRAKE'Sは英国本国の展開よりフランスやアメリカやイタリアのビジネスがメインという、当時の英国のネクタイブランドでは珍しい存在でした。
こうやって改めて当時の画像を見ると、MICHAEL DRAKEが引退する2010年代までコレクションが大きく変わっていないというのがわかります。
ブランドのテイストを変えずに鮮度や人気を保つのは本当に難しいことなので、ネクタイデザイナーとしてのMICHAEL DRAKEはまさにレジェンドであることは間違いありません。
HOLLINGTON
90年代前半頃に知り合いのインポーターさんから、フランスのミッテラン大統領が来ているジャケットがあると紹介されたのがHOLLINGTON(オリントン)でした。
この方が創業者でオーナーでもあったPATRICK HOLLINGTON。
いま日本ではビンテージARNEYSのちょっとしたブームで、当時のアルニスの代表的なモデルであるフォレスティエールやそれ風のジャケットが人気ですが、当時HOLLIGTONでバイイングしていたのもスタンドカラー(ノーカラー)のアーキテクトジャケットと言われるものでした。
なので、HOLLINGTONはBEAMSで初めて展開したフランスのスタンドカラー(ノーカラー)のジャケットです。
HOLLINGTONもSEHMに出店していたので毎回ブースを訪れていました。
その後PITTI UOMOにも出店していましたが、その頃(90年代後半)はフランスブランドの人気がなかったのでブースも閑散として寂しい感じでした。
昨今の日本の業界人の間のちょっとしたパリブームもあり、今もブランドが残っているか調べてみたところ、創業者でデザイナーであるPATRICK氏は引退したようですが、ブランドは今も継続されています。
ご興味のある方はホームページをご覧ください。
当時のSEHMはフランス、英国、イタリアを中心にヨーロッパのメーカーとアメリカのメーカーも出店していました。
90年代半ばになるとモード系の若いデザイナーを集めたWHO'S NEXTやウィメンズの Salon de preta porter femininaも加わり、 BEAMSや他のセレクトショップもドレスからカジュアル、ウィメンズのバイヤーまで大集合するほど人気の展示会でした。
96年頃にはPITTI UOMOを代表するCLASSICO ITALIA協会のブースも出展して盛り上がりましたが、それ以降ある理由で急速に衰退し、2000年前半頃に終焉を迎えます。
ある理由とは次回お伝えできればと思います。
一回で完結しようと思っていましたが、かなり長くなるので次回の後編に続きます。
後編は当時のSEHMで撮ったSNAPをお見せしたいと思います。