どういう意味なのか、そして科学の政治化って言葉、初めて聞いたと思って手に取った。
御用学者という言葉は聞くが、まあそういうことだ。あと、蓮舫のスパコンの研究費につける予算について言った「2位じゃダメなんでしょうか」にあらわれることだったんだね、本書は。
あの蓮舫の言葉に、私は分野によっては一位であることが大事だし、研究開発については一番であることが大事になるからね、意識が低いし、国ってものの考え方をそっちに持っていくんだ~って思った。別に私は、GDPが世界で何番目だろうと、常任理事国であろうと、ODA拠出額の順位で上から何番目だろうと、私の人生にはあまり関係ないだろうなと思うが、国って単位で考えるとずいぶん変わると思う。国民生活とか、様々な尺度で言う豊かさとか、経済力とかね。豊かな国、民度の高い国、教養のある国っていうのは、基礎研究にお金を出すと思う。そして基礎研究の厚みが新技術とか、結果的に国民の生活や知識、豊かさに影響してくるって思うのだけれど、すぐ役に立つこととか、まあまあ大丈夫な技術でOKっていう考え方だと、そういう層の厚さは出てこないだろうと思う。
だが、その研究予算をつけるのは政治家たち、ってことだね。そして国民。当然、政治家は国民の票が取れる方向に動くわけだしさ。自分の都合のいい研究を優遇するってことも起こる。
本書ではアメリカでのこうした研究事例がいくつも紹介されているが、アメリカの大統領制って、本当に政権が変わるとすべてがころっと変わるから。主人の知人の娘さんは連邦職員だけど、しばらく自宅待機で雇用がこの先どうなるかわからないとかあって、知っている人がそういう状況って、ニュース以上のインパクト。
そのアメリカで私が遠い昔経験したことは、進化論について。日本人は進化論、信じているよね。学校で習うから。中には少数派がいるかもしれないけれど、大多数の日本人はお猿さんが進化して(その営みは複雑で会っても)人間になったと思っているよね。アメリカは違うよ。キリスト教のある大部分の人々は、人間は神様が作ったら猿からなるはずはないって思っているよ。学校に普通にそういう子が通っている。授業で習っても、学校はうそを教えることがあると親に言われているから、あれは嘘っていうし。そういう地域や親たちは、当然進化論を教えない学校を支持するし、つくるし。で、選挙権もある。
いや、本当はどっちが正しいなんて誰にも分らない。
だって、私が科学的と思っていることだって、過去の歴史を紐解けば科学的ってことがなんちゅうか迷信とか呪術的だったりするから、100年後の未来人は大笑いするかもしれない。いや、いまや10年も経たないうちに、いや5年でいろんな常識が変わっちゃう世の中。
ただ、大多数の国民が、あるいは選挙権を持つ人々がそう考えれば、時の政権は進化論を研究する予算はつけない。
多数派じゃない研究を守るってことは、多様性ってことだけど、実は大切なような気がするんだよね。
世の中は、いろんな考え、いろんな研究の幅を狭めていく方向なのかなと不安を感じる一冊であった。
ってか、こういう研究分野があることを知らなかったよ!!
(2月記)


