私は大馬鹿で、行き当たりばったりで生きてきたということは自覚がある。なので時々、ちゃんとしなきゃって思うんだけど。今回まさに、あたしって本当にバカだなということがありました。いやいや本当にバカなんだけどね。
あの決して、自分のことをバカって言ってる時に何か謙遜してるとか、バカって思ってないけどバカって言ってるとか、そういうことなくて、ほんとにそうなのよ。![]()
だって私は、私自身の優れたところもちゃんとわかってます。私はある部分については、人よりも優れた能力を発揮することができたり、とある分野に関してはすごい能力あるなって思う。けれど、別の分野は人並みか人並みイカ、こういう分野はむしろかなり劣っていると。冷静に分析しております。例えば記憶の話で言えば、私は平面の画像を記憶することが非常に得意なのだが、立体を記憶することがめちゃくちゃできない。本当にできない。なので、立体のものを覚えなければいけない時は、そのものを覚えることよりも連携したキーワード、まぁ私の場合は物語なんだけれど、それと連携していかないと記憶ができないのよね。そういう自分の劣った部分をなんとか克服しつつ(いくつかのストラテジーを使って普通の人のようにやっていく)、社会生活を滞りなく行う。そうやって、今日まで生きてきたわけです。話がずいぶん飛びましたが、さらに記憶のことをについて言うと、あんなに得意だった平面画像を記憶することもかなり劣化し始めて。年齢による低下と言うのは間違いなく起きていると、日々実感しております。
さて、今回私がバカだと言う話ですが、ゴールデンカムイ。
ゴールデンカムイの映画、ポスターを見るたびに行きたいと思っていた。なぜならば、24人の囚人の刺青の地図はどうなったのか。あんな太い曲線と細い曲線で、峰とか文字で書いてあって、あれで本当に地図として成り立つのか。『プリズンブレイク』ではないが、謎が解けないまま終わってしまうのではないか。もちろん原作の漫画は完結しているので、全巻読めば良いのだが、原作読むのにすごく疲れるんだよ。これがですね、加齢とともに始まった画像を解析する能力の劣化とつながっておるわけです。
杉元は、金塊を手に入れることができたのか。あるいは別の勢力なのか、あるいは金塊はなかったと言う、まぁそれはそれでよくあるフィナーレなのか。そして、それぞれが新しい人生は歩んで終わりなのか。
また、私が読んだ4巻位までで、もう相当な人数が出ていたので、誰が生き残ったのかとか、あとアシリパさん幸せになったのかとか。それで映画行こうよとTぴょんを誘って見に行ったわけです。
オープニングが、二百三高地の戦闘の辛さ。杉元の決意の源でもあるが、それで、日露戦争大変だったんだと社会科勉強にもなり、でもすぐ次が唐突。いきなり刺青の話を雪の中、絶対凍死しちゃうよって見ていて思う飲んだくれのじじいのところからスタートして、なるほど原作では30巻越えを2時間にまとめるには、あれ位のスタートなのかと思っていた。その後は私が読んでいたストーリーをきれいにまとめたが、途中からこれじゃあ30巻の最後まで行かないよ。どうなると思い出した。
そして、あーこれって、これって終わらないのではと気づいた頃に、というかそれ以前に、これってもしかしてこのまま進むのであれば、12時間とか30時間の映画になっちゃうから、私帰れなくなっちゃうんじゃないか。このスピードで終わるのか、と思い始めたのだ。
だが、映画の終わりはやってきた。そして続編がありますよ的な問題の終わり方で私は愕然とした。
そうだよ。漫画原作で完結しているとは言え30巻超える物語が、2時間の映画で終わるわけないじゃん。私はTぴょんに、終わなかったねって言うと、Tぴょんはこれで完結しないとわかっていたのであった。
まじか。てか当たり前じゃないか。その時Tぴょんはすごく良い話をしてくれた。初めてナルニア国物語の映画を見たときに、これから旅立ちなのとナルニア国の原作を知らないTぴょんは思ったそうだが、まさに私もそれだよ。あと、指輪物語とかね。
冷静に考えればわかることじゃないか。私ってどんだけバカで、どんだけ大まぬけなのだろうか。まじで2時間で終わると思っていたのか。でも私が映画館に行こうと人を誘ったのは、24人の囚人とその背中の地図がどうなるか、プリズンブレイクなのか(意味不明)、そして杉元はどうなったのか、アシリパさんは幸せになったのかと言う疑問を解決するためであったか。何一つ判明していない・・・これではまた映画館に来なければならない。てか原作を買って読んだ方が良いのであろうか。
こうして私は映画館でかなり緊張し、神経を集中して見ていたが、見終わった後は疲労でぐったりしてしまったのであった 。あと、拍子抜けっていうか。![]()
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