ハリウッドがすぐリメイクするような映画だったよ~。ハリウッド好みの設定だよ~。


大沢たかおの顔ってあんまり好きじゃないの。この映画も全然興味なかったんだけど、TVのトーク番組で「この人って天然?」っていう姿を見て、急に映画が見たくなった。( ´艸`)

母にあの人変な人っぽいよ、と話したら、その映画見たいの、なんていうので、二人で出かけてきました。


というわけで、私はシリアスなSP役の大沢たかおをみながら、「この人変わっている人なんだなあ」って、思いながら、微妙な感情移入でした。(`∀´)


お話は、あり得そうであり得なさそうなところをついていて、面白かったよ。お金があれば、確かに新聞の全面広告買える!広告会社も新聞社も社員を買収すればできないこともない。警察官も買収できるだろう。そして、お金に困った人がばかなことをするだろう。

TV局のヘリコプターが、護送の様子を撮影しているあの状況も、私は地下鉄サリン事件とオウム真理教の上九一色村の突入を思い出して、全国民がこの放送を見ているっていう雰囲気を感じたよ。

最後の警視庁前の対決シーンがあまりにも長いので、そこだけが情緒的というか、その場面のせいで全体のリアリティを欠いたというか。大切な場面だから、大沢たかおが蜷川(山﨑勉)を説得するというヒューマニティあふれる場面だから、時間をとったんだけど、あそこだけがありえない、と感じた。他の場面は、荒唐無稽じゃない、こういう事件って起きるかも、って感じながら見ていたのにねえ。

あそこをどういうふうに処理するかは、確かに難しいだろうけどね。


一番おもしろいところは、蜷川の条件が「殺人罪あるいは傷害致死になること」。

殺人依頼した時点で、法治国家を否定しながら、「殺人罪あるいは傷害致死になること」で、法治国家にちょぴっと敬意を払ってみせること。

そして第二の条件は、警察幹部への買収も意味しているということの皮肉。

国家があって、貨幣があって、お金の意味があるのに、お金が国家を超えて見せることの皮肉。

蜷川の罪は重いね。


ラストシーン&ラストシーンの前のシーンは、「絶対これ」って予想したとおりだよ!

前のシーンというのは、藤原竜也が形の執行を受けるとこ。クズはクズなんだ。でもそれを含めた法治国家なのよね。そういう絶望と現実をつきつけて、最後のシーンはほっこりします。

大沢たかおは、あの子にきっと「君のお母さんは素晴らしい人だった」と語るだろうなあと思いつつ、幕です。


面白かったでーす♪ぶーぶー




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