禅定の段階 | スッカラカ~ンと♪いつも青空

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輝くいのち
その静かな喜び

 

 

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初禅天

二禅天

三禅天

四禅天

空無辺処地

識無辺処地

無所有処地

非想非非想処地

 

 

 

 

 

 

ヨーガスートラでいえば

初禅天が有尋有伺定です

 

有尋定・有伺定って何のことって思いますよね

 

マインドが未だ残っていて観念とともに観ている世界のことと言い換えることも

 

出来るでしょうか

 

 

二禅天から先は

 

無尋無伺定と書かれています

 

(ヨーガスートラP74)

 

 

無尋定とは定が深まり

記憶が浄化されて分別知(言葉と意味との慣用的なつながり

伝承や推理に基ずく知識など)の記憶要素が消えてしまうと

自らの本性・意識の自体がなくなってしまったかのようになり

客体のみが輝きだしている

これが無尋定である

 

(ヨーガ・スートラ1・43)

 

伺とはさらに微妙な存在を対象とする心のはたらきを指します

 

 

何度も深く

自己を理解することで

 

その微妙な存在を対象とする心のはたらきも分かってくる

 

 

そのような感じでしょうか

 

 

はてさて

 

転変するエネルギーでもある私たちは

 

永遠普遍の真理・真我を知ることは出来るでしょうか

 

 

それそものでもある私たちは

 

それをそうだと

 

どう知ることが出来るでしょう

 

 

 

 

 

 

「在る」ことで

 

 

 

 

(^0^)