受容 | スッカラカ~ンと♪いつも青空

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輝くいのち
その静かな喜び




コンサートの日がやってきた。

ヴラダン・コチは、四十代なのに少年のような顔をしていた。

吹き抜けになっている病院のロビー。

ふっと一瞬、天を仰ぐと、彼は弦に弓をあてた。



初めの一音を聴いたとたん、ああ、すごいと思った。

済んでいる。音があたたかい。

力強く、重く、それでいて、やわらかい。

不思議なチェロだった。

コンサートは大成功だった。



これほどの技量をもった男が、なぜボランティアでコンサートをしているんだろう。

不思議に思いながらも、

豊かなチェロの音色に、

ぼくの心はわしづかみにされていた。







ロビーでのホスピタルコンサートの話をすると、

彼女はその日を楽しみに待った。

しかし、彼女のガンは体じゅうに広がった。

日に日に衰弱していった。

コチの二度目のコンサートの日、ロビーに下りていく体力は残されていなかった。

どうしても彼女にコチのチェロを聴かせてあげたい、とぼくは思った。

病院の二階にある緩和ケア病棟の、彼女がいる奥の部屋まで音が届くように、

ドアをすべて開け放った。


コンサートがはじまる一時間ほど前、

ロビーで音合わせをしていたコチに、

彼女のことを話した。

「二階の病室で、あなたの音楽を聴いている人がいる。

そのつもりで弾いてあげてください」

すると、コチの目の色が変わった。

即座にチェロを手にすると、彼女の部屋へ案内してほしいと言う。

「私は音楽を欲している人のために、音楽を届けにやって来ました。

その患者さんのところで弾かせてください」

病室へ入ると、コチは柔和な笑みを浮かべて、

彼女の手を握った。

そして、チェロを奏ではじめた。

言葉はいらなかった。




バッハの「無伴奏チェロ組曲」に続いて、「浜辺の歌」が静かにはじまった。

まさか日本の歌を弾いてくれるとは思わなかったのだろう。

彼女の目に涙があふれてきた。

心にしみいるチェロの調べに浸りながら、

自分の人生を振り返っているように見えた。

演奏が終わると、コチは彼女にハグをして病室を出た。

二人とも、いい笑顔を浮かべていた。




彼女はかたわらにいたご主人に「ありがとう」と言った。

すべてを受容したのだと思う。

がんが末期であることも、自分の命がつきようとしていることも。

そして、がんが見つかってからの半年、

世話をしてくれたご主人に「さよなら」を伝えた。

それから、横にいたぼくの手を握った。

「ありがとう。幸せです」

命がつきようとしていることを自覚してなお、

この女性は幸せだと言う。

幸せってなんだろう。

いい家族、いい友人、やりがいのある仕事、

懐かしい故郷の情景・・・・・。チェロの余韻とともに、

さまざまな思い出がやさしく震える。


遠い異国からやって来た男の音楽が、

病院の空気をあたたかく包み、

一人の人間を

「受容」へと導いたのである。

すごい音楽家だと思った。













「空気は読まない」鎌田 寛 著

あるチェリストの「プラハの春」より抜粋