喜びの水 | スッカラカ~ンと♪いつも青空

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輝くいのち
その静かな喜び




ニルバーナという言葉を初めて聞いたのは

この頃でした


最近この頃の映像がフラッシュバックのように

記憶に蘇ります






去年

聞き返したテープから

その当時の密教の師匠からの

瞑想についての理解です


瞑想は

その深く自身を探求していく道そのものでもありますが

本当に正しく在るところの瞑想は

この愛のエッセンスをひたすらとたどる道だったなあと

今は振り返り思うのです


気づいている意識は

この愛のエッセンスそのものであり

目をあけ

生活そのものを送りながらも

この愛のエッセンス(気づいている)で見つめる

日常はそのまま自身をこの状態に近づけていくものなのだなあという実感です









2012年5月10日の記事

「過去のテープから」より抜粋




「喜びの水」と「悲しみの水」のお話

神様が用意した2杯の水

「悲しみの水」を飲んでもいい

それは喜びの水の意味を知るために

ところが

人間は「悲しみの水」を飲むうちに中毒になってしまいました



それを見ていた神様は

これではいけないと「喜びの水」を飲んでもいいよと

でもそれを飲むには

過去を忘れて、未来を捨てることが出来ればという条件付き


多くの人間たちはそんな簡単なことではありません~

過去を忘れるなんて

未来を捨てることなどと


それでいまでも「悲しみの水」を飲み続けているというお話



そこから

テープの中の人物は語ります

過去を忘れることはない

過去を受け入れればいいのですと

未来は

今という完全な満足が続くことがその未来と



このいのちを味わうことにおいて


この瞑想という経験は


完全にその「喜びの水」を飲むということであれば

「悲しみの水」が無かったことに気がつくのです


なぜなら

過去は

今在る自分をここまで

押し進めてくれていたまさに自分自身だと気がつくことで

すぐさま受け入れることとなり

その喜びは

満足となって広がり

今在るそれがそのまま未来へと続くことが分かるからです












共鳴という

喜びの水は











時間を超えて


愛とは







すべてが




愛と



語りかけてくるようです