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支援級に通う自閉症スペクトラム&ADHDの小2男子を育てています。
↑続きです。
小3の時、母が病気で入院することになり、
自宅には叔母が家事をやりに来てくれました。
ある日、食べない私を心配して、
叔母がケーキを2つ買って来てくれて、
「お母さんの病院に持って行って2人で食べてね」
と手渡されました。
母のところへ持って行くと母は喜んでいました。
その頃の私はジュースくらいしか飲んでおらず、
久しぶりにケーキを食べました。
凄く美味しかった記憶があります。
当時春休みだったので、
翌日叔母が私にお弁当を作ってくれて、
「お母さんのところへ行って、あなたはこれを一緒に食べて。お母さんは病院食があるから。」
と持たせてくれました。
ところが、
病院の受付の人に、
「昼食時間は面会時間じゃないからお母さんに会えないの。ごめんね。」
と言われました。
私は泣きました。
すると、奥からボスの看護婦さんがやってきて、
「先生には内緒にしててあげるから、今日は特別に一緒に食べていいよ。」
と病室に入れてくれたのでした。
その日のお弁当は完食しました。
母はとても喜んでくれました。
凄く嬉しくて、
その日から、私は普通に食事が取れるようになったのです。
入院中の母はとても穏やかで、
普段の厳しさが全くなかったんです。
母の愛情を感じたんですよね。
今思えば、それまでは家事と仕事と子育てで苛ついていたんでしょう。
退院後も母は相変わらずの教育ママっぷりでしたが、
ヒステリーを起こさなくなりました。
4年生になると、給食も食べられるようになっていました。
完食したことはないけれど。
ガリガリだった私も小学校卒業する頃は40キロ近くあったと思います。
それ以降鬱になるまで“日常的に食べられなかった”ことはないです。
あー、若い頃失恋で食べられなくなるのはちょっとあったかな。
叔母と当時の看護婦さんには食べられるキッカケを作ってくれて感謝しています。
まぁ、私に幼い頃そういう経験があって、
反面教師のつもりで息子に対して、
過保護にしていたのですが、
息子も同じように繊細で食べられない子になってしまいました。
うまくいかないこともある、
だって繊細親子なんだもの。
みつを