大学の卒業式のことは少し覚えています。
自分の所属していた学部にはほとんど思い入れがなかったので、知り合いのいる文学部の式に一緒に出ました。
物理学科の卒業式2次会にも出たくなかったし。長くなるから。
その結果、早稲田大学物理会みたいな会報に名前が載らないという副産物も生み出しましたが。
それはそれで。

そしてその後でカフェに行ってチーズケーキを食べたところまでは覚えています。
それ以降は覚えていません。
それは、節目の日と呼ぶにはあまりにも日常だったのです。
ただいつもよりも少しだけ賑やかな日。でも賑やかなだけなら早稲田祭前日のほうがよっぽど。
むしろ上の学年の人たちの卒業式の日のほうがよっぽど印象深いです。


何かを終わらせるということが苦手です。
それは直接的に、何かを失うということだから。たとえそれが無駄なものであっても。
失ったならばそれを埋める何かを手に入れなければならないということで。
でも、そもそもそれはどこにあるのか。もしそこにあったならそれは本当に正しいものなのか。まずはそれが分からない。
それは怖いことだと思うのです。


3月に毎回行われた終業式でも、全部で4回も出た卒業式も。
ひとつとして、何かを終えたという感覚はありませんでした。
ただ、大きな密度の何かが後ろから次々に背中を押して行って、それに押し出されていくという感覚だけ。

中学校の卒業式が終わったらその次は高校の授業に出席しなけらばいけないという不自然さ、
それに抗うこともできず、
それを納得し受け入れきることもできず、
今はやらなければいけないからやっておこうと先延ばしにしたまま。
日常が少しずつ変容していくのを傍観しているだけ。

終わらせるべき場面で、それを終わらせることをできずに。
未だに無駄なものを持ち続けているのです。



文学部キャンパスの目の前、卒業式だからといって特に混んでいるわけでもないカフェで、
その日食べたチーズケーキはとてもおいしかったです。いつもと変わらずに。
だけど、その日何を話したかは覚えていません。
時間はその前後で変わらずに、見飽きるくらいにゆっくりと流れていて、
そのチーズケーキが食べたくてそのカフェに行きます。
もちろんチーズケーキは同じ味がします。