👑 王宮・第一王子執務室
怪我から驚異的な回復を遂げたアルフレッド王子は、すでに公務へ復帰していた。
人前では、誰もが憧れる完璧な第一王子。
優雅で気品があり、穏やかな笑みを絶やさない。
だが、その仮面の裏では――
(……忘れられない。)
アルフレッドの視線は、執務机の上に置かれた一枚の白いシルクへ落ちる。
乾いた血痕が残るその布は、あの日、自分の命を救うために裂かれたドレスの一部だった。
まるで宝物に触れるように、指先でそっとなぞる。
(あの青い瞳……。)
(『喋るな! エネルギーの無駄遣い!』)
(『私の手を握って。ゆっくり吸って、吐いて。』)
(『私の目の前で、勝手に死なせるもんですか!』)
(あの声が、頭から離れない。)
「……殿下。」
氷のように冷静な声が執務室へ響いた。
振り返ると、銀縁眼鏡をかけた青年が立っている。
第一王子付き側近、セドリック。
王宮随一の秀才であり、アルフレッド相手でも遠慮という言葉を知らない男だった。
眼鏡を静かに押し上げると、真顔のまま言う。
「いい加減、その布を眺めるのはおやめください。」
「侍女たちの間では『殿下が呪術の儀式を始めた』という噂まで流れております。」
「失礼な。」
アルフレッドは布を大切そうに持ち上げる。
「これは命の恩人が残してくれた、大切な手掛かりだ。」
セドリックはため息をつき、手帳を開いた。
「では確認いたします。」
「その女性を捜す理由は何でしょう。」
「命の恩人だからだ。」
「それだけですか。」
少しだけ沈黙が流れる。
やがてアルフレッドは小さく笑った。
「違う。」
「あいつは俺の世界を変えた。」
「俺の脳をあそこまで焼いておいて、何事もなかったように逃げられると思うな。」
「責任を取ってもらう。」
カリッ。
セドリックのペンが止まる。
「……恋ではなく、執着。」
「承知しました。」
「症状は重症ですね。」
「おい。」
「ご安心ください。仕事はいたします。」
相変わらず冷たい。
しかし、この男ほど頼れる側近もいなかった。
アルフレッドは血の付いた布を差し出す。
「最高級のシルクだ。」
「この刺繍を扱える工房は限られる。」
「調べろ。」
セドリックは布を一瞥しただけで頷く。
「承知しました。」
「本日中に調査いたします。」
数時間後。
机には分厚い調査報告書が置かれていた。
「該当する令嬢は数名。」
その中の一人で、アルフレッドの手が止まる。
ヴァンディッシュ公爵家令嬢 エルザ・ヴァンディッシュ。
さらに、襲撃当日に森の街道で公爵家の馬車が目撃されていた記録まで添えられていた。
アルフレッドは静かに笑う。
「……見つけた。」
「エルザ。」
「俺の脳を焼いた張本人。」
立ち上がり、上着を羽織る。
ここからは"第一王子"として行動する時間だ。
「セドリック。」
「馬車を。」
「ヴァンディッシュ公爵家へ向かいます。」
「正式に礼を伝えねばなりません。」
「……まさか。」
珍しくセドリックの表情が固まる。
「事前連絡なしですか。」
アルフレッドは完璧な王子の笑みを浮かべた。
「急を要する案件です。」
「私の命の恩人ですから。」
その笑顔とは裏腹に、心の中では静かに誓っていた。
(逃がすものか、エルザ。)
一方その頃。
当のエルザは――
「ふぅ~。異世界ポテチ最高ですわ~。」
パジャマ姿のままベッドをごろごろ転がり、平和な休日を満喫していた。
自分の平穏な引きこもり生活が、あと数十分で終わりを迎えるとも知らずに。
――第5話へ続く。