遊覧船に乗ってチャンフェナルに着きました。
これから丹陽八景(タニャンパルギョン)に行きます。
丹陽八景(タニャン・パルギョン)とは、
丹陽において美しいことで有名な
一景 嶋潭三峰(トダムサンボン)、
二景 石門(ソッムン)、
三景 亀潭峰(クダムボン)、
四景 玉荀峰(オッスンボン)、
五景 舍人岩(サインアム)、
六景 下仙岩(ハソンアム)、
七景 中仙岩(チュンソンアム)、
八景 上仙岩(サンソンアム)
の8ヶ所を指しています。
ここは漢江から遡った南漢江の流域で、
小白山や錦繍山、道楽山の渓谷ごと、奇岩怪石が雄壮に広がっています。また澄んだ水が多くの滝を作り上げています。
丹陽八景は朝鮮時代(1392-1910)、多くの学者たちが休んでいった所で、歴史的にも文化的にも由緒深い名勝古跡が多くあります。
昨日のムグンフア号に乗っての車窓からの景色といい、遊覧船に乗っての船上からの絶壁の景色といい、どちらも険しい山の姿を見せてくれて、ここ忠清北道はホント、山を抜きには語れないですな。
これから丹陽八景に行きますが、その八景のうち2つは遊覧船の中で見てきました。


クダムボン(龜潭峰)です。
丹陽八景中、三景のクダムボンは亀の姿と言われています。もっこりしたところが亀の甲羅で右側が亀頭かな?
ま、しかし、巨大な岩の絶壁だというのは解るな。
もう一つは、
第四景のオッスンボン(玉荀峰)です。

退渓・李滉(イ・ファン)先生が『断崖を成している石壁があたかも雨の後、玉のように光る筍が無数に出てきたかのようだ』と言ったことからこの名が付いたらしい。
竹の子の形をした白くて青い岩が千個あまりあるそうです。
力強く聳え立っています。自然というものはよくぞこんなものを作りあげたものです。この景色は絶景としか言いようがないですね。
この峰は小金剛(ソグンガン)という別称を持つほどに絶景の秘境だったようです。
いくつかの奇妙な形の峰、山勢の起伏と屈曲、まあなんとしたい放題なこと、これらを見ていると、この自由奔放さが羨ましく思えて来ます。私も残りの人生、既成概念に縛られることなく自由奔放に❗と叫びたくなります。心の中で小さく叫びました。
ところで退渓・李滉(イ・ファン)て誰だろう?
韓国のお札の千円札に載っています。

李退渓(1501~70、イテーゲ)
本名を李滉(イホアン、退渓は号)
朝鮮王朝(李朝)を代表する儒学者。
李珥(李栗谷)とともに16世紀の二大儒学者と讃えられ、「東方の朱子」とか「東方の夫子(孔子)」などといわれている。
彼の学説は、朱子学の理気二元論を発展させ、特に「理」を重視する「主理説」(理一元論)を説いた。
その学統は、嶺南学派といわれ、李栗谷の「気」を重視する畿湖学派と対抗する、朝鮮儒学の二大潮流の一つとなった。
27歳で科挙に合格して進士となり、諸官を歴任した後、1559年に退官し、故郷に陶山書院を建て、学問と教育に専念した。
書院とは私立の儒学教育施設のこと。
陶山書院は朝鮮王朝時代の代表的な書院として慶尚北道安東郡に現在も残っている。
また李退渓の子孫は、現在まで在郷の両班として続いている。
また李退渓の学説は、その系統を嗣ぐ姜沆(カンハン)という学者が、16世紀末の壬辰・丁酉の倭乱の際に倭軍の捕虜となって日本に連れて行かれ、後に京都に招かれて藤原惺窩と交流し、強い影響をあたえた。藤原惺窩によって取り入れられた朱子学は林羅山らによって江戸時代の公認の学問とされることになった。
李退渓先生とは「大そうエライ先生」なんだな。それはよくわかったけど、この朱子学というのがよくわからないですね。これはまたの機会に考えることにします。
しかし、この先生、子供の頃はとても線の細いおとなしい子供だったようです。
では八景の見学を続けます。
チャンフェナルに着いたものの、見えるのは山だけで、右も左もわかりません。大勢の人が降りたので、皆が行く方向についていきました。5分ほど歩くと、駐車場や売店、案内所などが見えてきました。
ひとまず、ホッとしました。
案内所に行き丹陽八景の地図を貰いました。地図を見ながら、残りの六景をどう観て回ろうか思案していると、声をかけてくる人がいます。タクシーの営業ですね。いつもは断るのですが、今回は乗ることにしました。
タクシーの運転手さん達にとって観光案内でお客を乗せるのはおいしい仕事らしいです。しかし、最近はこういう仕事が減ってるようで、きびしいと言ってました。
自分は今日、小型のバンでお客さんを案内中なので、友人をすぐ呼ぶから待ってくれ、10分ほどで来るから。
ホントに10分ほどで来ました。電話で呼ばれた友人は嬉しそうです。
『後でおごれよ。』
『おう!ありがとうな。』
そんな会話を交わしていました。
さあ、タクシーに乗って出発です。
まず、
六景 下仙岩、
七景 中仙岩、
八景 上仙岩
に行きます。

六景の下仙岩(ハソンアン)です。

七景の中仙岩(チュンソンアン)です。


八景の上仙岩(サンソンアン)です。
靑丹大石と呼ばれる大きな石の間を縫って本当にきれいな水が流れています。
これら三ヶ所は、三仙九曲と呼ばれる渓谷に並んであります。
なんといっても、水がきれいでした。
八景のうちでは、この三ヶ所は訪れる人も少なく少し寂れた感はありますが、美しい水と大きな石が印象的な所です。
次は五景の舎人岩に行きます。
五景の舎人岩に行くには、車でしばらく走りました。両脇に紅葉の木がどこまでも続く道路を走って行きました。ドライブにももってこいです。
秋景色をボーッと見入っていたら舎人岩に着きました。


五景の舎人岩です。
八景の一、二を争うだけあります。
見事です。
ここは訪れる人も多く宿や食堂などが並んでました。
先程の三ヶ所は三仙九曲と呼ばれていましたが、ここは雲仙九曲と呼ばれています。わかるような気がします。この絶壁が空を突き抜けて聳えている感がします。
あの有名な絵師、キム・ホンド(金弘道)がこれを描こうとして、直ぐには絵筆を持つことが出来ず、数日間この前で悩んだと言われてます。この景観をどう水墨画で描き出すのか見てみたいものです。
サインアム(舎人岩)という名前の由来は、高麗末、儒学者であるヨットンウタク(易東禹倬)に因んで付けられたと云う。
当時、ウタクは王を補佐するサイン(舎人)という役職に就いていたが、後に故郷に帰り此処に留まり後学を教えた。そんな経緯から丹陽の郡守がこの岩をサインアム(舎人岩)と命名した。
‘’卓爾弗群確乎不拔獨立不懼豚世無憫 "
(탁루불군 확호불발 독립불구 돈세무민)
「優れているのは人の群れに比べることではない。確実に抜きでることも出来ない。
孤独も恐れることではなく、世の中隠遁したとて何も心配することはない」
岩壁にこんな直筆の書を残しています。
長らく権力の中枢で生きてきて、至った心境でしょうか?
やはり今も昔も悩みが尽きぬのは人間関係ということでしょうか。
この先生は、
時調文学にも優れていて嘆老歌を残しています。
"한 손에 막대 집고 또 한 손에 가시 쥐고
늙은 길 가시로 막고 오는 白髮 막대로 치렸더니
白髮이 제 먼저 알고 지름길로 오더라."
‘’片手に棒、もう片手に刺を持ち、老いる道、刺で防ぎ、白髪、棒で打とうとしたら白髪が先に気付き近道をして来たよ‘’
老いを嘆く詩をうたっています。
今の自分には、染み入る詩です。
さてと、丹陽八景中、六景を見てきました。後、二景残っています。
次に行くトダムサンボンとソッムンは一番美しいと言われています。
次回に続く~