明日はもう日本に帰ります。
本日の予定は、
チョンプンホ(清風湖)と
タニャンパルギョン(丹陽八景)
に行く予定です。
ホテルのフロントでチェックアウトがてら、観光案内をして貰いました。
ここでも、きれいなお姉さんが私の未熟な韓国語にも関わらず、親切に対応してくれます。(幸せ~✌)
話を聞くとご主人が若い頃、日本に留学していたそうで、日本の話を色々聞いていると言ってました。そんな雑談も交わしながら、観光案内をして貰いました。
この湖は観光地として遊びどころが満載で、色んな体験施設や見学処があります。
バンジージャンプ、ビッグスイング、ケーブルコースター、バラグライダー、観光モノレール、ロッククライミング、遊歩道、森林浴コース、噴水、遊覧船…
などなど
私は遊覧船に乗ってタニャン(丹陽)へ行くことにしました。
彼女はホテルのマイクロバスで、遊覧船乗り場迄、送ってくれました。 出かけに彼女は上司に向かって声をかけました。
『ティムジャンニム、パレダオルケヨ!』
‘’チーム長さん、送って来るわね!‘’、
チーム長というのは日本で言えば課長あたりかな?明るく、甘い声が耳に残ります。呼ばれたチーム長は、ホテルの前庭のテーブルでゆったりとお茶しています。
何と和やかな。
チョンプンホ(清風湖)
1985年に造られたチュンジュ(忠州)ダムによりできた人口湖水である。
面積67.5 ㎢,
平均水深 97.5 m、
長さ 464 m,
貯水量は 27億5000トン。
琵琶湖と比べると
面積669.23[1] ㎢
平均水深41.2 m
長さ63.49km
貯水量27億5000トン。
貯水量が同じ?!ホントに同じ??



バンジージャンプ、ビッグスイング、ケーブルコースターなどこの高い塔で行っています。水上飛行場の看板も見えます。

人口岩のロッククライミングです。
では、遊覧船乗り場に向かいます。

これは船ではありません。乗り場です。

切符売場で、韓国語を頑張ります。
発音が悪く、あまり言葉が通じなくてもめげずにコミュニケーションします。
慣れるということは恐ろしい。あまり通じなくても気にすることなく、臆することなく喋り続けました。
なんとかなるもんですね。
往復ではなく片道で丹陽(タニャン)に降りたい旨が伝わりました。

船が来ました。


遊覧船は1時間弱でタニャンに着きます。
その間の景色は、内陸の海と言われるだけあり、なかなかの見ごたえです。岩肌の迫力がすごいです。
写真ではどうもこの迫力が伝わらないですね。腕のせいか、カメラのせいか~

船上で皆さんが食べているので買って見ました。湖上でビールとトウモロコシ。
オー!極楽\(^o^)/





なかなかの見ごたえの景色でした。
それだけ、ここは険しい山に囲まれた地域だったということでしょう。
昨日、乗った鉄道も険しい山の間を縫って行くがごとく走っていたし、この遊覧船の景色もゴツゴツとした岩肌が山の険しさを語っているようです。
忠清北道地域の山深さを強く意識せずにはおれません。
この清風湖(チョンプンホ)は、
そんな山深い忠清北道のど真ん中にダムを造る為できた、人工湖です。
そして、この湖ができるにあたり、もともとあった数多くの村がこの水の中に水没しています。
私は幾世代もこの地に暮らしていたであろう村の人たちを思ってしまいます。人々がどんな暮らしをし、どんな歴史を持っていたのか、どうも気になります。
ナムハンガン(南漢江)上流に位置する清風地域は
先史時代は文化の中心地で旧石器時代の遺跡が至るところで発見されている。
三国時代には高句麗と新羅の勢力争奪地としてきら星のような中原文化が興った所である。
高麗時代と朝鮮時代にも地方の中心地として、運河を利用した商業と文物が大きく発達した地域だ。
1978年から始まったチュンジュ(忠州)多目的ダム建設で61の村が水没した。
ここにあった各種文化財を一所に集め文化財団地を作った。
この地域の山中は洞窟が多い。洞窟か。それで先史時代から人が住み着いたというのもうなづける。人類の歴史が自然との戦いだったとすると洞窟は風雨や他の動物から身を守ってくれたのだろう。
そんな古来からズーッと命を繋げて暮らして来た人たちがここにはいたのだ。
そのような村が61も水没したのかー
そんな村の事などを調べていると、それぞれの村には、民話や伝説が数多くあることがわかりました。
そんな逸話の中でも、
『泣いて渡るパクタル峠』
「울고넘는박달재」
が有名でしょうか。歌にもなっています。
これは、険しい山の峠を越えるということが、昔の人にとっては、どれだけ大変なことだったのかを物語っているのでしょう。
慶尚道から首都ハニャンに向かうには忠清北道の山の峠を越えて行くしかなかったんでしょうね。そんなことから生まれて来た逸話だろうと思います。
♪
チョンドゥン山、
パクタル峠を泣いて渡る私の人よ。
私の衣服が
じめじめと滴り降る雨に濡れていく。
鬼グモが住み着く
この山の頂きや曲がり道に向かい
泣いたよ、叫んだよ、
胸が張り裂けるほどに。
これはパクタルとクムボンイの悲しい話です。
昔、慶尚道からソウルに科挙の試験を受けに行くパクタルがこの峠を越えて行く途中、ふもとの村に住むクムボンイに出会い恋をします。
パクタルは科挙に合格したら、迎えに来ると約束し、上京します。
クムボンイはそんなパクタルにドングリのムッを作り、腰に結わえてあげて、遠い道のりお腹がすくことないよう心遣います。
数年後、落第したパクタルが悲しみの中、クムボンイに会いに行くと、クムボンイは三年を待ち続けたが、疲れはて3日前に死んだと聞かされます。
悲しみにくれたパクタルは峠の頂きにクムボンイの幻を見つけ追いかけ掴まえようとして谷底に落ちて死んでしまいます。
それ以後、この峠をパクタル峠と呼ぶようになりました。
昔の峠越えがこんな話を生んだのでしょう。
このパクタルの話は男女の悲恋ものですが、伝え来てる話の多くは、圧倒的に生まれて来た赤ん坊や、子供、老人の話が多いです。
厳しい生活環境の中、弱い者がどういう運命をたどるのか、民話や伝説はオブラートに包んだ形で伝えてるのかも知れません。
それは死んだ者への供養であり、生きている者の贖罪なのかも知れません。
厳しい自然の中で人類が生きてきたということを胸の中でじわっと感じます。
遊覧船はチャンフェナルト(丹陽の船着き場)に着きました。
次は丹陽八景(タニャンパルギョン)に行きます。
次回に続く~