韓国旅行 忠清北道2日目② 法住寺 | 韓国旅行記

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歴史、文学、伝承、民話、美術、飲食などを絡ませながら旅します。

韓国旅行で忠清北道の法住寺にやって来ました。

韓国のお寺はお寺の構造が
須弥山頂上にいるお釈迦様に会いに行く道
ということになっているんですね。

お寺に向かって進む道は、ただの道ではなくお釈迦様に会いに行く道なのか。

ちょっと整理しておこう!

出発地点は我々の住む俗世間
南贍部洲(ナンセンブシュウ)



極楽橋

南贍部洲(我々の住む俗世間)から須弥山(お釈迦様のいる所)に行く8つの海を越える橋を意味。



下馬碑

馬に乗って来た場合、ここから馬を降りて進まなければならない。
「馬」は、社会的身分を表していて、いくら地位が高い人であっても、ここから先は皆同じお釈迦様の弟子に過ぎず、謙虚になることで真理に近づくことができるという意味。



一柱門

須弥山入口に該当。一心で門を通りお釈迦様の所に向かいなさいという意味。



金剛門

金剛力士がいます。
過ちの群が寺に近づくのを防ぐ役割。
「あ」の形に口を開いているため、 「阿形像(阿金剛力士)」。
「うん」の形に口を閉じているため、「吽形像(吽金剛力士)」。
「あうん」は、宇宙の最初と最後であり、宇宙のすべてを含む言葉。



天王門

四天王がいます。
彼らは、釈迦の教えに感服し、仏法を守る神将になった。東南西北を守る。
四天王の足の下には、罪多き衆生がいます。その衆生は、自分の中にある過ちの心なのかもしれません。



不二門

釈迦の国である仏国浄土に入る門。
「二ではない」という言葉はどういうことだろうか?

山の頂上に登り、山と空と自分が一つになった瞬間の境地。

ウウン?わからん

すべの煩悩を消すことのできる境地(解脱)ともあるな~

さあ、この門を入ると、釈迦の国である仏国浄土があります。



梵鐘閣と四物

不二門を過ぎると梵鐘、法鼓、木魚、雲版など、四物があります。四物は、衆生を救うために釈迦の教えを広める法具です。

梵鐘 は、天上と地獄の衆生に教えを説くためのもの。

法鼓は、教えを伝える太鼓で、地上に暮らす衆生に教えを説くためのもの。

雲版は、飛び交う衆生や虚空に浮かぶ霊魂に教えを説くためのもの。

木魚は、水の中にいる衆生に教えを説くためのもの。
魚は常に目を開けていますが、これは、修行者はどんな時でも気を抜くことなく修行に励まなければならないという意味も。



法堂

光で満ちた釈迦の国

不二門や梵鐘がある楼閣を過ぎると、お寺の庭が広がっています。釈迦の国です。目の前にはお釈迦様がいる法堂があります。

山を越え海を渡り須弥山に登ると、ようやくお釈迦様に会うことができるのか。長かったなあ。

法堂では白い石と白い土を使い、自然光を利用して、日光が白い石と土に反射し、法堂の中のお釈迦様を照らします。その光がお釈迦様の体で再び反射し、法堂の中を金色の光で包み込みます。これは、光で満ちた釈迦の国を再現したものです。

そうか❗
それで金堂と呼ばれているのか。金堂ってよく聞くよな。と自分なりに納得していたら、又、違う説明が~

ウウン、はやまってはいけない。

釈迦の家、真理の家

法堂は本来、金堂と呼ばれていました。
金堂と呼ばれた理由の一つは、お釈迦様の体が紫金色だったためです。
お釈迦様の体は赤い光に包まれた金色です。金の光を放つという意味で、お釈迦様を金人と呼びます。

なるほど~
金堂というのは、「釈迦の家」か~

法堂は、「法の家」
法とは、「釈迦の教え」や「真理」を意味

つまり、 「法堂」とは
「釈迦の教えに満ちた家」
「真理に満ちた家」
といった意味になるのか。

たくさんの仏と菩薩

お寺にはたくさんの仏様がいます。
なぜ、たくさんの仏様がいるのか。

一つ、誰もが仏になれるという教理に基づいているからです。誰もが仏になれるので、仏様が一人ということはありません。

二つ、仏様に対する衆生の願いが多様だからです。様々な要求に応じるために、たくさんの仏様がいます。毘蘆遮那仏、釈迦牟尼、阿弥陀仏、薬師如来などです。

また、お寺には仏様だけがいるわけではありません。菩薩もいます。

「仏様」は悟りを開いた人であり、
「菩薩」は仏になる前の修行者です。

菩薩は、上には悟りを求め、衆生には教えを説きます。菩薩もいろいろな人がいます。観世音菩薩、地蔵菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩などです。

その他
お釈迦様の弟子をはじめ、様々な人(羅漢、神衆、山神、龍王など)がお寺にはいす。


だいたいの韓国のお寺の構造がわかって来たぞ。だいぶ頭の中が整理できた。そしてだんだん仏教に関心が出てきたなあ。

さてと、法住寺の見学を続けます。
まだ国宝が二点残っています。



国宝第64号の法住寺石蓮池

まるで蓮の花がぷかぷかと浮かんでいるような姿を表現した傑作品。

8世紀頃に制作された統一新羅時代の作品と推定。

蓮の花は汚い泥水に根を下ろして花を咲かせながらも汚れに染まらぬ美しい香りを放つ。
私たちの現実はお互いに妬み騙す蓮池の泥水と同じような世の中ですが、お釈迦様の教えに従い正しく生きれば来世に極楽浄土に生まれるという仏教の輪廻的な教理を表現したものだと言われています。

そうか。お寺に行くとよく蓮の花が使われているがこういう意味があったのか。






国宝第5号の法住寺双獅子石灯

新羅 聖徳王19年(720年)と推定

灯は、お釈迦様の慈悲で明朗な生活をし、いろいろな災難(仏教での8難)を予防するために創造されたものと云われている。

獅子を利用するのは三国時代以来多く見られたらしいが、なんともいえずこの獅子が可愛いおねがい必死に支えている姿がなんともいえずいじらしい。この時代のこの造形センスはどこから来たのかな?



法堂の入り口の階段です。これがまた味のある造形です
法堂の中は撮影出来ません。



それで隣の建物の中を撮りました。

そろそろ帰らなくては、帰りのバスが心配です。I

帰り道も、極楽橋を通りました。

ラマダホテル玄関です。

本日宿泊は清州に戻って来てラマダに泊まりました。予約なしで飛び込みで行き、フロントでたどたどしい韓国語で値段交渉をしました。交渉してみるものですね。負けてくれました。20%割引。ラッキー

ソウルのラマダでは考えられないことですが清州ではありです。

部屋に荷物を置き、食事に行きました。

チキンとおでんを食べました。
たまには韓国料理から離れたくなります。

食事の後はコーヒーとタバコです。

帰り道、若いお兄ちゃんが一人でやっているパン、ケーキ、カフェの店に入りました。何処かで修行をしてきたのでしょう。小さな小さなお店ですが味はプロでした。
あのキメ細やかでふっくらとしたカステラは日本でも見かけないですね。丁寧な仕事です。

旅をしていると、ごくごくたまに、こういう店に出会いますね。いや、こういう人に出会いますね。

『仕事を通して人を見る』

か、この青年を見ているとそういう言葉が頭をよぎります。私の目には思わず尊敬の色がにじみ、彼も言葉は交わさなくとも私の思いを感じ取っているようです。

お互いがお互いを影響しあった瞬間です。

コミュニケーションって言葉だけではないですね。こういうのは時間に急かされるツアー旅行では味わうことは出来ないです。フリーの旅の醍醐味です。


ぶらぶら辺りを散歩しながらホテルに帰りました。



ホテルのロビーです。
これは何でしょう?
Wifi がバンバン入っているホテルのロビーでインターネット検索です。

ソッテ(솟대)

ソッテの端にカモやガチョウなどの鳥があげられているが、昔、ソッテの鳥は、天上界の神々と村の住民を接続する一種の伝令鳥だったと考えられていたという説がある。

アジアの北方民族はガチョウ、アヒル、白鳥などの水鳥が秋に南に去ったが、春に再び戻ってくることを非常に神聖視する。
つまり、ソッテの鳥は生と死の境界を行き来することを意味していた。

ソッテは民俗信仰で新年の豊作を祈願して立てたり村の入り口に村の守護神の象徴として立てた長い木竿である。三韓時代のソトから由来したものと思われる。

韓国語Wikipediaに載ってました。
自分なりに訳して見ました。


ラマダホテルのエレベーターの中です。
これは直指です。
明日、行きます。明日は世界一古い印刷物について書き込みます。


疲れた~
寝ます。I