■叔父から貰った虎毛の直子
私は母虎と陸奥の二度目の交配でできた2頭の仔犬のうち赤胡麻の雄をとても気に入ってしまいました。
本当にきれいな毛色の仔でしたので。
そこで、叔父になんとか譲ってもらえないかと日参して頼み込みました。最初は渋っていた叔父でしたが、私が余りにしつこかったのでしょうか、昭和26年も残り僅かとなった頃、中学生の私に叔父はこう言いながら、この仔犬をくれたのです。
「シゲちゃん(私の呼び名)がんばって世話して展覧会に出してみるかい。」
もちろん、私はそれは一生懸命世話をしました。お恥ずかしながら憧れの父犬の名前と同じく「ムツ」などと呼んでいたことを思い出します。
ムツは長秋号に容姿が似て叔父の目にも適うような立派な若犬になりましたので、その年の四国連合展に出陳することにしました。
思えば私が展覧会を意識した初めてのことだったと思います。
ところが、連合展まであと数週間となったところで突然ジステンパーにかかってしまったのです。
この頃はジステンパーのワクチンが普及していなかった時代です。この時代の有名犬も多くがテンパにかかって手の施しようが無く亡くなっています。
ムツも連合展の一週間前には脳膜炎を起こし、皮肉な事に展覧会当日の朝に亡くなってしまいました。
■大館虎の孫
ムツがもう助からないと悟り、子供ながらに心の整理をつけた頃、大舘氏が四国連合展に出陳するという若犬を連れてお披露目に来られました。
それが菊二郎号です。あの大館虎=サチの娘と陸奥号の子とのことでしたが、一目見て顔貌と毛色が良く素晴らしいと思いました。
古城先生が書き残してくださった記録に幸女号の記載があり、これが私の記憶と合致します。薄い虎毛の雌でしたのでひょっとすると胡麻毛での登録になっているかもしれませんがこの幸女が私の言う「大館虎」になります。
■第3回四国連合展
昭和27年4月20日、私は喪失感と共に第3回四国連合展の会場である三島小学校のグランドでリング内の攻防を見つめていました。
それにしても、大舘氏の菊二郎号は目立っています。私は徐々にリング内の犬達にのめり込んで見入っていました。
大舘氏は早くも一席を確信した様子で意気揚々と菊二郎を曳いていました。
しかし、結果は!大番狂わせが起きたのです。
菊二郎号は若犬出陳3頭中3席でした。ギャラリーも私も予想だにしない結果です。
審査決定の声が響いた時、どよめきの中心で大舘氏は受け取った3席の賞状をびりびりと破いて高々と差し上げ
天に向かって投げ上げました。
そして賞状の紙吹雪を背に受けながら菊二郎と共にふり返りもせず、リングを後にしました。
…この大立ち回りはあの日の鮮明な記憶となって残っています。
その出来事は後の大舘氏と日本犬保存会との関係に影を落とすことになったように感じています。
しかし、なぜ菊二郎号は末席となったのでしょうか。この時私には全く解かりませんでした。
数年後、この時の審査員であった里田原三先生から理由を伺うことができ、なるほど審査員の先生はよく見ているものだと感心する事になるのでしたが、それはまた別の機会にでもお話いたしましょう。(be-so)
_____________次回は通常鑑賞の予定です。



