四国犬の古典鑑賞03:定太号(エピソード編) | 未整理箱。古い四国犬の話でも入れておこうか

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【四国犬の古典鑑賞】



現在の日本犬中型 四国犬に影響をあたえた犬。一石を投じる犬。



03定太号(エピソード編)


土佐の種馬(もとい犬)ロッキー定太

決してかっこいい体型ではなかった

頭頂付近にタテガミが見え隠れしています


定太号は土佐純系会の作出犬です。詳しい犬のデータは【四国犬の古典鑑賞】02定太号(プロフィール編)の記事をご覧ください。


土佐純系会は四国犬創成期の名犬『長春号』の血統を残す活動に尽力された故古城九州男先生の犬舎で、当時から定太はその作出犬の中でも中心的な存在として知られていました。


【名前の由来】
確かs.32年だったと思いますが、当時、高知市本町で耳鼻咽喉科を開業されていた古城先生のお宅に上がり込んで犬の話をあれこれ伺っていた時のことです。


私は良い機会だと思い、以前から疑問に思っていた定太の名前の由来を質問してみました。
現在でもその習慣は残っていますが、この頃は殆どの登録名は長~号”“~春号という風にその犬の血統の名犬にあやかってつけられていたので、私は古城先生による『定太号』『或羽号』といった命名が不思議だったのです。

古城先生は普段からあっさりとして穏やかなもの言いの方でしたが、この時も非常にあっさりとしたもので
「その頃はうちの犬舎で次々たくさんの仔犬が生まれてきたものだから、もう名前を考えるのが面倒になってしまってね。それで、生まれた順にギリシャ語のアルファベット の読み方に漢字を充てて名前を付けたのですよ。」と、おっしゃっていました。


今回、改めて私の持っている資料を調べてみましたが、現在記録に残っている犬で上記に当てはまるのは3頭です。

(2007.11.12追記)

日本犬保存会から問合わせに対して回答がありました。

或羽、定太の同胎でギリシャ語のアルファベットにまつわって名付けられた、純系会(土佐純系作出研究会)作出犬として下記が判明しました。


 【S27.8.4生まれ】
6972 或羽号(αアルファ)
6973 美多号(βベータ)
6974 頑魔号(γガンマ)
6975 出田女号(δデルタ)
6976 燻論女号(εイプシロン)


 【S28.7.7生まれ】
8297 智恵太号(ζゼータ)
8298 英太号(ηエータ)
8299 定太号(θテータ)
8300 医王太女号(ιイオータ)


日本犬保存会に問い合わせれば、他の犬も記録だけは出るかもしれませんね。

雌の出田女に関しては登録番号が或羽と近いので同胎だったのかもしれませんが、記録だけで写真も無く私も見る機会がありませんでした。


【定太のタテガミ】

定太号にはタテガミがありました。


生涯の持ち主となったのは岡山の小椋さんという方で、定太を譲り受けた時はご夫婦で古城先生宅を訪れています。

小椋さんご夫婦はその頃まだそれほど四国犬に詳しかった訳ではなかったそうですが、一匹の仔犬にタテガミがあり、その子を奥さんが気に入ったために譲ってもらうことにしたそうです。

その犬が後に日本犬保存会の展覧会で多くの受賞犬,優良犬を排出した定太号でした。


定太がこれほどまでに多くの交配に使われた原因は幾つかあるかと思います。

その中でも、タテガミのご縁がもとで交通の便が良い岡山の地に渡ったということ、更には定太の直子の武蔵号が日本犬保存会の第二十七回本部展に彗星のように現れ、いきなり総理大臣賞を獲得したことが大きかったように思います。

武蔵号受賞時の記録写真より
定太号の直子 武蔵号
『日本犬保存会創立五十周年史(上巻)』より


定太は写真のとおり(今回の画像は会報誌などでもお馴染みですね)体型に若干難がありましたので、自身は殆ど展覧会に出陳される事がありませんでした。

私の記憶では武蔵号が大臣賞を獲ってから2,3年後に“多くの有名犬の父犬に賞暦が無いというのもカッコがつかない”という理由で香川支部展に出陳され、本部賞を獲得しています。

それ以降展覧会に出陳されることは無かったと思います。

(2007.11.12追記)

問合わせしておりました件について日本犬保存会より回答があり、下記が賞暦として記録されていましたので訂正いたします。

どうやら香川展と岡山展を勘違いしていたようです。

11回香川展/優良

13回岡山展/優良日保本部賞



【頬のキズ】

定太の見た目は非常にヤサオトコ感がありますが気性は神経質で激しいものでした。


プロフィール編で使用した頭部の写真では、吻の横にキズがありますね。これは、交配の最中にお相手のメス犬に咬まれて付けられたのだと小椋さんの奥さんから伺いました。


激しく抵抗されると戦意喪失するオス犬も結構いるものです。しかし定太は咬まれた直後にメス犬の首根っこを咬み伏せて、おとなしくさせてしまったということでした。
後に如月荘さんが交配に行かれたときに(交配は基本的に雌が通います)同行させていただいたのですが、やはりメスの首の後ろのところを咬み伏せていました。


動物の世界で“交配する”ということは一種の戦いなのでしょう。

そういった意味でも定太の子孫が後の四国犬界に君臨したことは必然であったのかも知れません。(be-so)


(200711.12追記)

日本犬保存会より回答がありました。(お手数をおかけしました)また、如月荘さんからも資料が届きました。(ありがとうございました)

双方の資料を元に、記事を一部改訂いたしました。


______________次回は黒旋風号の予定です