ウィキペディアの「植民 バージニア州」を、自分の言葉でまとめてみました。





アメリカ。バージニア州のまとめ



16世紀末。イギリス人が本格的にアメリカへと入植を始めた。

彼らイギリス人は、この地に植民地を築くことを決意した。

そして、その地を、時のイングランド国王エリザベス1世にちなんで、バージニアと命名した(エリザベス女王は処女、すなわちバージンだったのでww)。

その後、イギリス人は、ここにバージニア商会という会社をつくり、本国よりこの地を開拓する植民者を呼び寄せた。105人の人間がやってきた。

彼らはバージニアにあるこの町を、時の国王ジェームズ2世にちなんで、ジェームズタウンと命名した。

しかし、そこは過酷な土地だった。

飲み水には塩分が含まれていたし、マラリアなどの疫病が発生しやすい土地であった。

わずか半年たらずで、飢えと病気で入植者は半分以下に減少した。1608年、生き残っていたのはわずか38人だった。

そんな彼らを救ってくれた存在・・・それがインディアンであった。

「全てを分かちあおう」

彼らは白人たちを親身になって世話をしてくれた。

水や食料を与え、トウモロコシの栽培を教えてくれた。

植民者たちは、インディアンのおかげで、どうにか命をつなぐことができた。

それにしても、バージニアは過酷だった。

疫病、飢餓。

気づけば、仲間はどんどん死んでゆき、1608年には38人にまで減少した。1618年から1622年までの間に、植民者の実に4人に3人は1年と生きることができなかったのである。

親身になって助けてくれたインディアン。

そんな彼らに白人がして返したもの。それは略奪であった。

白人はタバコを栽培を始めたが、タバコの生産は土地を痩せさせてしまう。白人は新たな土地を必要とした。目の前に、こんなに土地が広がっているではないか。インディアンの土地だ。

「インディアンには強腰でなければ有利な交渉ができない。銃の力で威圧しよう」

植民者は、親切にしてくれた先住民をどんどんと追い詰めていった。

ついに1609年、対立から戦闘へと発展した。

植民地の拡大に反対するインディアン。白人は彼らを徹底的に虐殺した。略奪、レイプ、殺人、放火。この地のインディアンはほとんど壊滅した。

これまでずっと、ここに住んでいたインディアンは、自らの地を追い出された。

その後、白人は再び、彼らの移った土地までをも奪い、平和的なインディアンを殺害し、ここにバージニア州のインディアンはほとんど壊滅した。







<奴隷をはじめて連れてきた日>
1619年。オランダ商人が黒人どれををバージニアに連れてきた。

これが、北アメリカに黒人が連れてこられた最初であった。

1680年以降、奴隷の輸入が増え、奴隷人口が増加した。そして、奴隷法ができていった。