欠けていたもの | 育太郎

育太郎

−charcoal of life−

全てを自分として、置き換えてみる


自分ならどうするのか?私ならどうするのか?


そのままの角度だけで観ると


そこに善悪があるのかもしれないけれど


その善悪の判断はどこから来るのか?


上からも下からも覗き込んでみたら


違うかのもしれないし、逆なのかもしれない



時折、多忙な中で忘れてしまう


全ては、内から写る鏡の世界だということを



隔てる意識は、自らが造り上げたもの


本来は全ての事象が繋がっているのに


そんな大切なことを忘れてしまう



外側から観えるものに、違いや粗を探し出す内は


悪い意味で、自分を秤に掛けている


自分の正しさを振りかざす為に


自分の愚かさを隠す為に



自分と他人を比較している内は


本来の自分もクソも無いだろう


そんな世界や環境、そして自分にはもう疲れた



自分には、いつの間にか完全に忘れていたものがある


子供の頃は当たり前にあった気持ち


誰の言葉でも、どんな事柄でも


ありのままに全てを受け止めた



信じる気持ち、信じるということ



もしかしたら、それが今の自分にとって


一番大きな課題なのかもしれない



もし、全ての事柄を信じ切ることが出来るのなら


私が生きるこの世界、この観える世界が


本当の意味でひっくり返るのかもしれない



それが私にとっての


神一厘の仕組みなのかもしれない



今の自分というものを信じれず


背伸びをしたり、格好をつけたり


強いことが正しいと、強く在り続けないといけない


そんなふうに、自分に嘘をついてきた


本当は弱くてもいい、格好悪くてもいい


本来はそんな部分を補い合う為に


その為に、みんなが周りにいるのだと思う



そして、そのみんなの輪の中に、私もいる


それこそ、フラワーオブライフの模様のように



もし、その輪の中で真の和を見い出せられたら


それが一つずつ一つずつ、外枠を越えていき


さらに大きな輪の和となっていき


連動し共鳴し続けていき



いつかは、止まらない和の流れに変わるのだと思う


その為にはまず、自分を信じ切ること


私は、そこから始めて行こう