こんにちは。
少し久しぶりになってしまいましたが、引き続き楽器・アレクサンダーテクニークを勉強中です。
音大を修了してからは個人練習の時間が多くなりましたが、去年1年間で教わったことを思い出しながら、日々基礎練や曲に向かい合っています。
先日は久々に師匠のレッスンを受けることができ、また新たな目標も設定できました。
アレクサンダーテクニークのレッスンもコンスタントに通っています。教えられるようになるにはまだまだ準備が必要です。道のり未だ半ば、といったところですね。
今回は最近のレッスンで実際に体験した、自分自身の習慣の捉え方について、書いていこうと思います。
○習慣の定義
何度か当ブログでも取り上げてきましたが、私たちにはみな何かしらの「習慣」があります。
私は習慣を「ある行動によって自分にとって心地よい/得/有利である状態が経験されたことで、それが繰り返し行われるようにシステム化されたもの」と認識しています。
(参考記事:私たちの習慣と選択〜本当に大事にしたいもの〜)
実際には、全てのことをいちいち良い悪いで評価している人はいないと思いますので、そこまで意識的に「よかった」という印象がなかったとしても、「特に問題ない」「支障がない」程度の体感があれば、それが習慣になる余地は十分にあるでしょう。
「問題ないのだからこれでいいだろう」という、無意識下の選択です。
獲得した習慣が良好に機能している間は、特に何も気にする必要もないのですが、時折習慣は今向き合っている課題に対して、必ずしも役に立たないことがあります。
○最近のレッスンにて
最近受けたレッスンで、この習慣を改めて認識する機会があったので、体験談として紹介します。
まず、アレクサンダーテクニークのレッスンにて。
緩徐楽章の安定感を探究する中で、楽器を構え始めようとしたその瞬間に、股関節の動きが止まり、脚・下半身の連動性が失われていることがわかりました。また、骨盤そのものの角度にも注目し、少し前に傾けてあげることで、呼吸のダイナミックさに繋がることにも気がつきました。
続いては師匠のレッスン。
真ん中のB♭あたり、いわゆるホルンの中音域が安定感が出なかったので、体の使い方を改めていろいろ実験。首の向きや角度を変えてもいまひとつ改善しなかったのですが、その次に肩を上げたり下げたりしてみると、不思議と肩を上げた時の方が音が安定しました。
どうやら、肩甲骨を必要以上に押し下げる動きが入っていたようで、楽器を肩甲骨から支えるような、少し肩を挙上するイメージを持ったところ、音が一発で変わってしまいました。
この、脚・骨盤のロックや、肩を押し下げるというのは、紛れもない私の習慣です。
それも、楽器演奏という特定のアクティビティに伴う習慣です。
自分一人ではなかなか解決できなかったと思うので、やはり自分の鏡になってくれる先生の存在は偉大だと改めて思います。
○本当の習慣は、習慣であることにすら気づけない
ここで問題になるのは、今の自分にとって必ずしも良い作用をしていない習慣に、自分ではなかなか気づくことが難しいという点です。
長年楽器を演奏してきた人は、何千、何万回と同じ動作を繰り返しています。
管楽器であれば、楽器を持ち上げ、唄口を口元に運び、息を入れて音を出す。
その動作の中で、全身のあらゆる部分に習慣が宿る可能性が秘められています。
何回も繰り返してきた動作だからこそ、望むと望まざるとに関わらず獲得してしまった習慣を、自力で認識することは非常に困難です。
高度に習慣化された習慣は、習慣であることすら自覚できないのです。
抜け出す方法があるとしたら、おそらく2つ。
一つは、奏法・体の使い方を正しく理解し、それを伝えられる先生に見てもらうこと。
上述したとおり、鏡になってくれる先生というのは極めてありがたい存在です。
ただ、常に誰かに見てもらえる環境・状況に身を置くのはなかなか困難です。
もう一つは、常に自分は選び直せるということをしっかり思うこと。
懐疑論的な見方になってしまうと苦しいですが、そうではなく、常によりよい自分の使い方の可能性がある、自分をよりよく使っていける可能性を持つ存在だということを、念頭に置いておくということです。
習慣が自ら(意識的・無意識的に関わらず)獲得したのものであるなら、新しい習慣を獲得することによって上書きすることもできるでしょう。
先程の肩の動きについても、例えば自主練の中で「思いっきり肩を上げてやってみる」とか「片方だけすごく力をいれてやってみる」とか、なかなか思い付きづらいアイデアを自分で試してみても良いでしょう。
一般的に「肩は上げるな」という指示が多い中で、こういうことをやるのは変だと感じるかもしれませんが、自分で思いも寄らないくらい突拍子もないことを試してみると、案外そっちの方がうまくいってしまうかもしれません。
というか、そうでもしないと気づけないくらい、自分の中で当たり前になっているかもしれないのです。
時に先達の力を借りつつ、自分自身の中にある可能性を信じて、常により望ましい自分に近づいていく。
習慣というものを見直すことによって、そんな成長のプロセスが見えてくるかもしれません。
〜以上〜