こんばんは。
早いもので、もう年の瀬。明日からは2021年です。
言わずもがな、今年は本当に大変な1年でした。
私も音大に入ったのは良いものの、座学の講義はついにオンラインのみで教室に入ることは一度もなく、レッスンも一部オンラインになるなど、当初想定されていた学生ライフとは全く異なる状況が待っていました。
制限・制約ばかりで、思った通りになったことの方が遥かに少ない1年でしたが、だからこそ改めて見えたものもあるというか、否応なく気づかされたものも多かったのかなとも思います。
今日は、そんな1年の雑多なまとめとして、「習慣と選択」というテーマで書いていきます。
○コロナ禍で思う、習慣の捉え方
新型コロナウイルス感染症によって、私たちの「当たり前の日々」は完膚なきまでに破壊されました。
朝会社に行き、夕方(夜中?)帰るという生活は、在宅勤務という新しい働き方に置き換わりました。
我々アマチュアも含めた音楽家は、日々の練習や大切な本番をやるという機会を失いました。
今年の年明け時点で、こうなることを予見できた人なんて誰かいたでしょうか。
毎日会社に行くということも、毎週練習があるということも、慣れ親しんだ生活スタイルという意味において一つの「習慣」と捉えることができると思います。それがあることが当たり前で、変わることなんて思いもしないもの。あるいは、当たり前とすら思っていないもの。
そんな当たり前とすら思っていなかったものから、変わらざるをえなくなったのが今年です。
習慣に居続けることが、外的な力によって許されなくなったのです。
習慣とは、「ある行動によって自分にとって心地よい/得/有利である状態が経験されたことで、それが繰り返し行われるようにシステム化されたもの」と定義づけることができます。
社会レベルでは「慣習」となぜかひっくり返して呼ばれていたりしますね。
(参考記事:習慣についての考察〜抜け出すカギは「いま、ここ」を見つめること〜)
慣れ親しんだところに居続けるのは、楽です。
今までの状態にそれなりに満足しているなら、あえて新しいものを選ばなくても困らないでしょう。
しかし、今回は選ばざるをえなくなってしまった。
仕事、趣味、家庭環境・・・あらゆる面で、それぞれの個人がそれまで見てこなかったもの、見る必要のなかったものを強制的に見ざるを得なくなり、選び直しを迫られたのです。
○今、大切なもののために選び直す
コロナの渦中にあって、習慣に居続けることを許されなくなったために、多くの人が混乱・困惑を余儀なくされたように、私は感じました。
自分が守ってきたもの、安心を得ていたものが、それまでのやり方で維持できなくなったのですから、当然です。私ももちろんそうです。
この状況で、多くの人が、意識的・無意識的の別を問わず、「選び直す」ことによって対応しているな、と思いました。
習慣とは、いまここで、本当にそれが必要かどうかを見直すことによって、抜け出すきっかけが掴めると前述の記事で説明しました。
今自分が望むことのために、ちょっと怖いけれど、今までと異なるやり方をしてみる。
その結果が良ければ、そちらを続けて実践してみればよいし、あまりよくなければ、また立ち戻って違うやり方を試してみればよいのです。そうやって実験と検証を繰り返すことで、いつしか「新しい習慣」が自分の中に生まれていることでしょう。
かつては、習慣にあっても上手くいっていたかもしれません。
が、今後これからも、習慣が自分を助け続けてくれるとは限らないのです。抗えない事態が起これば、我々が「まあこんなもんだろう」と思っていた当たり前なんて、簡単に崩れ去ってしまうのですから。
今、この瞬間に、自分にとって本当に大切なことのために、行動を選び直すことがいかに大事なことか。
コロナ禍はそんなことを浮き彫りにしたように思います。
重要なことが一つ。
それは、「習慣に居続ける」ということすら、選択肢の一つだということです。
コロナ禍にあっても、なお出勤し続けるということを選ぶ、選ばざるを得ない人もいます。(医療職など事情が異なる方々は例外としても)習慣からあえて抜け出さないことで、自分を罰する必要はありません。
ともかくも、今、個人も社会も選び直しの時期にあるのだと思います。
「24時間戦う時代なんてとっくに終わった」なんて言われているのに、いまだに東京の夜景は残業するサラリーマンによって彩られています。
常に選んでいくのです。そして、その結果と責任を他人ではなく自分で引き受ける、という覚悟を併せ持つのです。そうすることで、このような緊急事態にあっても、なお自分の軸で生きていくことができる、と私は信じています。
○「大切なもの」とは
今年の秋に、とあるオンライン同窓会に出席した際に、一人の先生から素敵な言葉をいただきました。
(確か先生のオリジナルではなく、誰かの引用だったと記憶しています。)
「私たちが“生きる上で一番大切なもの”を尋ねられたら、それは決まって衣・食・住、生命維持に関わるものを答えることになる。だが、“二番目に大切なもの”を尋ねられたら、人によって全く異なる答えが返ってくる。すなわち、人間を人間たらしめるのは、二番目に大切にするものの存在に他ならない。」
コロナ禍にあって、私たちは色々なものを奪われました。
だからこそ、自分にとって何が大事なのかを、より強く意識するようになったと思います。
コロナ禍は、年が明けても当面続くでしょう。
私が、私たちが、主体的に、人間らしくあるには、この状況下にあっても幸福であるには、次に何を選んでいく必要があるのか。
そんなことを考えながら、年を越していこうと思います。
みなさま、良いお年をお迎えください。
〜以上〜