母はもともと不安が強く、
とてもネガティブな人でした。
そして、ここ数年で、
その傾向はさらに強くなっていきました。
私は、何とか母に幸せを
感じてもらえないだろうかと考え、
珍しいお菓子を持って行って
一緒に食べたり、一緒に散歩をしたり、
体を動かしたりしてきました。
親には、生きている間、少しでも元気に、
そして幸せな気持ちで暮らしてほしい。
それは、多くの子どもが
願うことではないでしょうか。
思い返してみると、私は子どもの頃から、
母の幸せそうな笑顔を見たいと
切実に願っていたのだと思います。
でも、そんな子どもの願いとは関係なく、
母はいつも不機嫌でした。
「生きていても何もいいことがない。」
それが母の口癖でした。
一方で私は、
大人になってヨガや瞑想を学び、
少しずつ心の穏やかさを
取り戻してきました。
以前のようにネガティブな考えが
止まらなくなることは
少なくなりましたが、
それでも心が不安定な時には、
慈悲の瞑想を唱えています。
そんなある日、ふと思いました。
「母にも慈悲の瞑想を唱えてもらったら、
何か変わるかもしれない。」
この思いつきが、
私たち親子に思いがけない変化を
もたらすことになりました。
母にヴィパッサナー瞑想の本を渡したのは、
数か月前のことでした。
「慈悲の瞑想を毎日唱えてみてね。」
そう伝えましたが、
母は本を読むこともなく、
もちろん母が慈悲の瞑想を
唱えることはありませんでした。
やっぱり難しいかもしれない。
そんなふうに思っていました。
ところが、ある日、
訪問診療に来られた先生が、
テーブルの上に置いてあった
その本をご覧になり、
「この本はどなたが読んでいるんですか?
私も読もうと思っていたんです。」
と声を掛けてくださったそうです。
先生の何気ない一言が
きっかけになったのか、
母は少しずつ本を開くようになりました。
その後、母と散歩をしていた時のことです。
私は「私が唱えるから、
真似してみてね」と声を掛け、
歩きながら慈悲の瞑想の
最初の節を唱えました。
すると、意外なことに
「私が幸せでありますように」と
母は素直に繰り返してくれたのです。
それ以来、夜のテレビ電話の時間に
一緒に慈悲の瞑想を唱えることが
習慣になりました。
しばらくすると、母は私が唱えなくても、
一人で唱えるようになりました。
そして少しずつ変化が現れました。
散歩するときの歩幅が
以前より大きくなり、
昼夜を問わず何度も
電話をかけてくることも、
ほとんどなくなりました。
もちろん、これらの変化が
すべて慈悲の瞑想によるものだと
断言することはできません。
けれど、慈悲の瞑想を続けることで
不安感が和らいだと感じる人は
少なくありません。
母にも、そのような変化が
起き始めているのかもしれないと
感じています。
私は長い間、母との関係に苦しんできました。
だからこそ、「母を好きにならなければ」
「許さなければ」と
自分を苦しめていた時期もありました。
でも今は違います。
母に対する感情とは別に、
一つだけ心から願うことがあります。
それは、母が人生の最後の日まで、
不安ではなく、
幸せな気持ちで
毎日を過ごしてほしいということです。
それを願うのが、
子どもなのではないかと思います。
もし慈悲の瞑想が、
その願いを叶える手助けになるのなら。
私はこれからも、
母と一緒に唱え続けていきたいと
思っています。
同じように、親との関係に悩みながらも、
親に穏やかに過ごしてほしいと
願っている方がいるなら、
慈悲の瞑想は一つの
小さな希望になるかもしれません。