FOR ALL ROUTINE WORKERS -340ページ目

卯月

さて、、僕はどちらかというと、物事のポイントというか、核になっている肝(キモ)みたいな部分を探し出すのが得意というか、結構好きで、例えばいい音楽にはサビじゃなくてもその曲その曲に聞き所みたいなのがあって、カフェとかで音楽が流れていて、「シーーッ!!そろそろくるよ、、くるよ、、、はいっ!!ここだーー!!!」「ほら!、ね!、やばいっしょ?この曲は、ココを聞きなーー!!」みたいなことはよくやる。

別に押し付けてるわけじゃなくて、まあ半分冗談みたいにやってるんだけど、不思議とみんなわかってくれる。

映画とかでも、自分が知っている映画なんてちょっとしかないのだが、たまに話していたりして、「あっ、その映画見た事ある」なんて話になっちゃうと、「あそこのあのシーンやばいよね」みたいな話になって盛り上がってしまう。

誰かと一緒に映画を見たりしても、終った後、内容について難しいことは「あーだ、こーだ」なんて言えないけど、ただ印象に残っているセリフとかシーンみたいなものを軽く話したりして、「あー、それそれ!!あのチューする瞬間ヤバいよね!?巻き戻してもう一回見たかったもん」みたいな話もよくする。

で、これもなぜか仲のいい人とは合ったりするもので、長い映画のなかで、一見どうでもいい同じポイントに反応してしまうのは、笑える。

それで、もし、「学校」というものにもポイントみたいなものがあるとしたら、それは「春」なんじゃないかなと思うんですよ。夏休みも、秋や冬の体育祭や文化祭もいいけど、やっぱ学校といえば春なのではないかと思う。

今月、ちょうど新学期が始まったところなんだけど、大学なんかの春ってのはもうほんとにすごいもんで、何回経験しても、面白いし楽しいし、新鮮な気持ちに戻れる。僕が通っている大学はとてつもないマンモス大学だから色んな奴がいる。

上京したての若者なんかはブイブイって音が聞こえてくるぐらいすごい服着て歩いてた。キャンパスは様々な方言が飛び交い、新生活に対する不安と希望が混ざり合い、混沌としていて、しかし奇妙な活気に溢れている。(みんなだんだん来なくなるから今月だけだけど...)

授業なんかも初めはどんな内容か今イチわからないわけで、ある程度の期待を抱いて出席する。大学の初回の授業とはとにかく混んでるのだが、すげー面白いもんで、大教室での講義では周りを見回すと、お前、次から絶対来ねーだろ!?みたいな奴も、ちゃんといて、ダルそうにしていながらもその表情にちょっとだけ「この授業どんなもんかな?」みたいな想像して、楽しみにしている感じが出てて、ものすごく微笑ましい。

そうやってどの学生も、先生とか授業内容についてのキモを少しずつ探していくわけです。

あと、新入生なんかはもう見てすぐわかりますね。もう教授が来る前から机の上に真新しいノートとか出しちゃってさ、中には筆箱からペンを取り出して、消しゴムまで一緒にノートの上に置いて、さらには電子辞書まで開いている子もいる。マジメなんだね。彼らは想像しながらちょっとドキドキしている。

こちらはもう慣れてるから、初回はきっと説明だけで、そんな張り切らなくてもいーんだよ、なんて先輩面して言いたくなっちゃうんだけど、でもそういう姿勢はすごく大切であると思うし、時々自分が忘れていた気持ちみたいなものを思い出させてくれます。大切だよなぁ、、そういう気持ち。

学生はホントにいい。
大学というのは実に居心地がよい。6年目にしてやっとわかった。自分の好きな場所、見つけてしまった。
必死で仕事を探している今でもたまに、ずーっと大学生でいたい!!とか強烈に思う。

.......ちょっと話がそれた。


———で、春は出会いの季節とはよく言うものだけど、知らなかった他人同士が知り合って仲良くなっていくというのは、その人のポイントとなっているキモな部分をつかんでゆくことじゃん?

最初は何にもわからないから、例えば好きな音楽の話とか趣味の話とかして探り探りな感じでその人のキモをつかもうとする。これは合コンとかお見合いみたいなのと一緒で言い方が違うだけであって「○○さんのご趣味は?」「お茶とお花を少々...」なんてのと同じ。

人には音楽や映画と同じように、いや、それ以上に多くのキモがあって、他人のそういう所に触れた時はやっぱ嬉しい。何よりも、他人が自分に対して警戒心を解き、心の扉を開いてくれるのは幸せな瞬間です。

不思議なことに、人は自分自身のキモについてはうまくつかむことはできません。自分は自分自身のことをよく知っているようで全然知らないもんでしょう?実際は自分が気にしている内面というのは、他人はそれほど見ていなくて、それよりも自分が気にも留めない所を他人はものすごーく、しっかり見ていたりする。

「他人は自分を映す鏡だ!」なんてずーっと言ってきたけど、最近その意味が実感として強烈によくわかる。

例えば、この4月に出会った人は、今までの僕のことを何にも知らないわけで、軽く自己紹介したりして説明しても、まあそんな簡単には詳しく人のことなんてわかるわけないじゃないすか。

だからその人の目に映る自分はものすごく純粋な今の自分なんですよ。very nowなわたし。2007年の4月のある日を生きてる、23歳と7ヶ月のその日のその瞬間の自分が、出会った人の瞳の中にいるわけ。でもね、それはホントに「超オレ」なの。

毎年第一印象が変わるというのもおかしな話ですが、ここ数年、初めて会った時に言われる事が毎年違って、そういうものを通して自分の成長というか変化を感じる場面が多いです。あぁ、そうか。なるほど、初めて話す人には今の自分はそんなふうに映るんだ、って。

ずっと仲良くしてると、こいつはこういう奴だなとか、これ見てあんなこと言うだろうな、っていう決めつけみたいなのがだんだん出てきて、それはいい意味で言うと信頼とか信用ってことになるんだろうけど、やっぱどうしても人はフィルター通して他人を見ているわけですよ。別にそれがいけないってことじゃなくて、人間なんて毎日ぐんぐん変わってくものだから、特にすごく親しくしてる人ほど、たまには無心で見なければならないな、とかはよく考える。

僕らは、気づいたら勝手に相手に対して、像(イメージ)を造っちゃってるんですよ。頭の中にいっぱい他人のクローン人形みたいなのができてる。でも、それってすげー不完全なモデルで、それは結局自分の都合いいように頭の中で造ってるわけだから、誰かと会ってても、気づいたら目の前にいる人じゃなくて、自分の頭の中にいるその人のデフォルメされたサイボーグみたいなのに対して話かけている、なんてことがしょっちゅう起こっているんだと思う。

だから、相手に過剰に期待したり、されたりする。そしてたまに現実と像の差が広がりすぎて壊れる。あーあ、って。

しかし、なんでしょう、人って何でもできるんですね。ってか何でもやっちゃうんですね。

自分の中によその他人というひとりの人間を創ることができるんですよ。しかもそいつは本当の誰かと全然違う新しい別人で、もしかしたら地球上に存在しない人なのかもしれないし。

そういうのを「人像人間」なんて云うんでしょうか?


......なーんて


別にシャレで落としたつもりはないんだけど、でも、僕は感謝しています。ジンゾーニンゲンたちに。
いつかの春に出会って、また今年の春も自分と相手の中にそれぞれお互いがいて、それらは間違った像かもしれないけど、その人のことを思ったり、考えたりできるってことに。

よく考えたら、日本で暮らしてフツーの学校教育を受けている限り、多くの人とは春に初めて出会うわけじゃん?それぞれ出会ってから何度目の春だ?何度となく季節を超えてるよ。すごい!

学校に限らず人との出会いは、一生に一度のものでしょう?だから出会った人は大事にしないと。

そうそう、今年の春も出会いがいくつかありました。
この春に産まれた卵が孵って、また一人自分の中に誰かの像が誕生する日は来るのかな?

4月の空は鳥がたくさん飛んでいる。

陰暦で4月を意味する「卯月」の卯は卵という字にちょっと似ている、でも、ついでにいうと卯はうさぎのことです。そういえば、なぜか先日、うさぎさんに出会いました。


4月の空は色鳥ドリ...


今日の1曲:リプルソング/ミト feat. 原田郁子