かつて北陸ほ一向宗の影響力が大きく、一大宗教王国でもありました。富山県西部には今も多くの寺院とその跡地が残り、かつての寺内町として栄えた過去の栄華を物語っています。同時に戦国という戦乱の時代故にそこは寺院と言ってもまた戦と権力闘争としての場所でもありました。「古国府」という地名からもかつては越中国の国府が置かれていたと推定されるこの場所には戦国時代、越中西側の守山城主神保氏がその平時の居館として利用していたのが古国府城でした。現在では富山県西部高岡市にあった城で、今ではその後の巨大寺院へと姿を変えることで、今の地形に僅かに名残を残すのみとなっています。位置していたのは伏木でかつては「如意の渡し」と呼ばれる小矢部川の渡船の場所があった所です。

この時、JR氷見線を乗り潰し旅を終えて、折角なのでその沿線での史跡を楽しむために探索していたところ、「城巡り」アプリで発見したのがここ古国府城だったのでした。アプリ一つで日本全国各地の城をなおかつ詳細に探すことができる…新時代の城巡りでの旅は遂にポッと出での旅を楽しむに至ったのでした。

JR氷見線、富山湾の沿岸を走るローカル線でその風光明媚さから乗っているだけでも楽しめる路線

今も昔ながらの国鉄時代の気動車キハ47系が走行し、時が止まったかのよう。ただ、数年来でここもJRから第3セクター鉄道の愛の風とやま鉄道に移管されるので、それに合わせて設備なども更新される模様。もちろん鉄道路線の存続は一にも二にも利用者がいないと話にならないので、これは大事な事。この路線が残ることを願っています。それと同時に「今のうち」にこそ楽しめるものがあるというもの

伏木駅

高岡駅からほんの数駅ほどで到着。この辺りからは高岡の市街地となり、利用者も非常に多くなっていました。

伏木駅は貨物路線の敷地もあるので非常に広大となっています。

伏木駅は立派な駅舎もあり、有人駅であるなど今も鉄道駅らしい駅の光景がそのまま残っています。

「如意の渡し」かつての伝説で平安末期に源義経と弁慶らが奥州へ逃れる際に北陸経由で通る際にここ如意の渡しで役人に見とがめられた際に、弁慶が機転を利かせたのがかの有名な「安宅の勧進帳」の逸話。もっとも歌舞伎では加賀の安宅関になっていますけどね。

 

さて伏木駅から少し歩くとそこはこつては古国府という地名が残されています。

そしてそこに残るのが勝興寺と呼ばれる寺院

勝興寺は天正14年(1584)に越中を支配していた織田武将佐々成政が当時配下となっていた越中国衆の神保氏張を通じて、一向宗にこの土地を寄進したのが起源です。当時、前田利家そしてその背後にいた羽柴秀吉との対立を背景に、かつての仇敵である一向衆徒を懐柔しようと言う目的から来たと言われます。その後、佐々成政が越中を去ると勝興寺は前田家と関係を深め、それが江戸時代を通じて巨大な寺内町として栄えたのでした。古国府城はこの勝興寺の境内に位置したと言われ、そのために巨大な寺院の境内となることで城の面影は失われましたが、地形はそのまま残っていると言う状態

 

でもこの櫓、凄いお城みたいな雰囲気を醸し出してくれるので、良い雰囲気。それにしても人気がないので、自由に散策できたのがありがたかった。

唐門

さて古国府城の面影ですが、実は境内外周の土塁がかつての城のそれではないかとされています。この土塁、四方を囲っていたのですが、一部開発に失われてしまった次第

西と北側にはかつての堀跡が残っているのですが、ここはもうかなり荒廃した状態

かつて巨大な寺内町として栄える一大宗教都市だった勝興寺の絵図。戦国末期から続くその面影は壮大な寺院建物とまるで城のような櫓と水堀で現在も残されていたのでした。

 

〇アクセス


JR氷見線伏木駅から徒歩15分

 

「古国府城に狼煙が一本…」