今井環濠集落は奈良県の環濠集落の中でも一番観光地としてもおススメです。私もまさか地元にこれほどの素晴らしいスポットがあるとは城巡りを初めてからようやく知った次第。環濠集落としての遺構はごく僅かしか残されていないのですが、かつて大和南部における経済の中心地として栄えた今井寺内町が「重要伝統的建造物群保存地区」として保存整備されています。

町の中に入ったらそこは江戸時代の街並みでした。

タイムスリップしたかのような歴史ある建物が立ち並ぶ街並みが残されています。奈良県橿原市に残る貴重な街並みをご覧ください。

近鉄で大和西大寺から橿原神宮前へと向かう近鉄橿原線。そこに一風変わった駅があります。「八木西口」近鉄路線が南北に線路が行き交うターミナル駅八木駅からほんの僅か数百mという凄い近距離。まるで同じ駅にいるかのような感覚に襲われます。何でこんな変わった駅になったかというと元々、八木駅というのはこちらに位置していたのです。しかし、大阪線と交差するターミナル駅として新設された新・八木駅が出来たのですが、区分上は同一駅として現在の八木西口駅が出来た次第です。

そしてここは今井寺内町へと僅か数分という近距離にあり、その意味でも無くしてほしくない駅です。土手をくぐると

ちょっと逆光が入ってしまいましたが、そこはもう今井寺内町です。

蘇武井

古くから良質な水を出していた歴史ある井戸です。

街並みの中に入るとそこは

タイムスリップしたかのような古い木造の街並みが建ち並びます。

この今井寺内町は保存にあたり、「車はエリア内に立ち入り禁止」という方針が打ち出されており、そのため歩いてのみ、この街並みの中を散策することができます。おかげで悠々と歩いて散策できたので、これはグッジョブ!

江戸時代に栄えた経済の街は伊達ではなく、立派な木造の建屋が立ち並び、ここを歩いているだけでもタイムスリップしたかのような感覚になります。

中心に位置する称念寺

寺内町の起源となった寺院で、室町時代後期の明応8年(1499)に浄土真宗が地域に受容され、「今井道場」として天文年間に多くの人を集めるための寺内町として発展したのが、この町の起源です。由緒あるお寺ということで、明治期には明治天皇の行在所ともなり、寺院には近世に再建された本堂と、明治天皇の行幸を受ける際に移築された山門と太鼓楼が残されています。明治帝はここで西南戦争勃発の一報を受け取ったと言われます。

さてここもかつて戦国期には織田信長の石山合戦の一環として激しい戦闘が繰り広げられ、「環濠集落」として寺内町を保護するための堀が築かれました。

現在は水路となっている南西部には復元整備された外に丸く膨らんだ馬出し状の堀と土塁が残されています。建物だけではなく、こうしてかつての環濠集落としての遺構も保存整備されていることを橿原市に感謝したい。二重の堀によって防御力を高める努力がなされており、やはり戦争の激しさが伺えます。

500棟に及ぶ古い建物が残されており、その数の多さは日本一。ただし、その保存の経緯は紆余曲折があったそうで、文化庁や橿原市などは貴重な史跡として保存整備したかったのですが、地元住民の間では「古い建物の取り壊しなどができず、古い家に住み続けることになるのか」という反対論が根強く、そこを根強い説得によって街全体の保存へと持って行けた次第。

 

 

旧豊田家住宅

元々は材木商だった豪商牧村家の所有する店舗であり、幕末期には越前藩とも関係を結び、高取藩への貸付などを行うなど畿内の諸藩に対する強い影響力を持っていたほどでした。江戸時代から残る貴重な建築物で、現在も当時の梁などが残され、内部は昔ながらの商家の様子が伺えます。

 

江戸時代の古い町並みが消失することなく、街全体を保存整備された素晴らしいスポット。我が地元にこれほどの素晴らしい街と環濠集落があったのはこの時初めて知ることになり、自分もまだまだなぁと赤面する思いであるほどでした。是非、奈良へ来るときにはこちらも訪問してみてください。

 

 

〇戦国の動乱期に設けられた環濠集落

戦国前期に起きた天文一揆、これは本願寺の摂津や河内での一揆蜂起を受けて、奈良でも一向衆徒が中心となって大和一国を揺るがす大規模な争乱でした。更にそれから40年後に、織田信長に宣戦布告した石山本願寺に呼応する形で、今井もまた大和における蜂起の中心となります。合戦に備え、今井の街は「牢人を集めて」配備し、従来あった環濠集落を最大限に利用しつつ、武装都市として激しい抵抗を続け、明智光秀の軍勢を半年にもわたって苦戦させたと伝わるほどでした。しかし、天正3年(1575)本願寺と信長の間で一時的な和睦が成立すると、今井は信長と直接交渉し、赦免を取り付けています。その際、「武装解除」の条件として「土居構」などの防御機構の破却が行われ、この結果として今井は他の本願寺一揆が盛んだった伊勢長島や越前地域と違い、破壊や虐殺の被害を被ることなく、いち早く戦乱による破壊を免れることができたのでした。これがなければ、今の今井の街並みが残ることも無かったことを思えば、まことに幸運だったと言えるでしょう。

 

〇アクセス

近鉄橿原線八木西口駅から徒歩5分

 

「今井環濠に狼煙が一本…」