兵庫県の日本海側の北西端、鳥取県との県境であり、この辺りまで来るだけでもなかなかの一苦労です。JRで特急で来ても数時間、車でも同様。それだけに自然と温泉は多いので、カニを食べる目的以外だとなかなか立ち寄れない場所でもあります。今回はそんな旅での観光スポットを紹介しましょう。余部鉄橋といえば、地形の谷間にそのアーチの鉄骨が非常に優美な姿であり、多くの観光客も集める鉄道観光スポットでした。前日、友人のT氏と鳥取城巡りを行い、当日鳥取市内の温泉地で湯舟に浸かり、改めて2人で鳥取から関西へ帰る道中で但馬地域も訪問していこうと歓談していました。

朝一に鳥取駅から始発列車に乗り、一路兵庫県の浜坂まで。

浜坂は浜坂温泉の町であり、そしてカニグルメの町でもあります。特に冬場になると特急はまかぜでカニ食事の観光客が大勢訪れるのですが、まだ10月の秋とあって人はまばらです。

特急はまかぜ

城崎温泉方面へと向かう観光客が少数乗り込む姿を目撃。もっとも城崎温泉からこの辺り、「山陰本線」という「幹線」でありながら、利用者数が少なく、本線ながら存廃論議も冗談抜きで出てきている御時世になってきました。いつまでも安泰というわけではない鉄道にとって厳しい時代を感じさせる光景です。

 

さてこの近くにある清富陣屋跡へと訪問していきます。目的地は浜坂の市街地から少し距離のある位置にあり、徒歩25分くらいのゆっくりとした行軍で目的地へ。

相応峰寺は石垣造りの寺院でかつて山上にも寺院施設があるかなりの規模の大きな寺院だったようです。

その一角に神社の鳥居と風情のある池が。神社と寺院が一体となっている。これだけでもその歴史を物語る貴重な証人です。

 

 

 

 

その相応峰寺の手前にかつての清富藩陣屋がありました。ここはかつては城下町として整備されていた跡地でもあるのです。

陣屋敷地跡に残る石碑と石垣

この石垣はかつての陣屋のものでしょうか?どうもそれっぽくは見えないので恐らく後世に記念して設けられたものと思いますが…

しかし、その基礎にある石垣はどうもかつての陣屋のものっぽい。

かつては陣屋の池跡

観音山の麓にかつて清富藩の城下町があったのでした。今は長閑な集落となっていますが、

あるいは清富藩がもっと明治まで存続していたら、この辺りが新温泉町の中心となっていたかもしれません。

集落の一角には共用井戸が残されていました。

今でもその区画にかつての城下町の面影を残しています。
 

ここから再び友人のT氏と共に山陰本線で餘部駅へと向かいます。

余部鉄橋に到着!やはりこの高さは凄い。そしてこんな高所に鉄橋と駅まで建設していたのは凄い。

かつては京都から多くの優等列車が行き交うまさに鉄道の幹線としてここは整備されていたのでした。

往年の余部鉄橋

赤い鉄骨でくみ上げた鉄橋は雄大で、一般人でもその姿を写真に収めるために訪問していたと言われています。そして今は新・余部鉄橋へと変わりますが、それでも一部が遺構として残っています。

鉄橋の麓には道の駅があり、余部鉄橋に関する展示が成されています。ここで朝の食事。T氏からは「脂っこいものばかり食べている」と言われて、いかんなぁ…と…そろそろ健康に気を使わないといけない年齢となってきたなぁ…

新鉄橋と一部保存された古の余部鉄橋が同居し、更にエレベーターで上へと上がれば餘部駅まであります。

かつて余部鉄橋は強風でよく列車の運行を中止していました。実際に列車が強風で煽られて、下の人家へ転落し、多くの犠牲を出した痛ましい事故がかつて40年くらい前に起きており、その強風からの列車を守るために新しい鉄橋が建設されたのでした。

 

 

餘部駅には今の線路とかつての鉄橋の線路が共存

 

 

今では少ない本数の普通列車と特急はまかぜの列車が走りますが、やはり本数が少なく写真に撮れなかったのが残念

 

清富陣屋と余部鉄橋、兵庫県の最果てまでの訪問で訪れることのできた城巡りと一大観光スポットに親友と共に訪れることができたのはやはり旅は仲間としていくと色々と弾むよなぁ…と楽しむことのできる旅でした。
 
〇短い大名の夢・清富藩
清富陣屋を築いた大名・山崎氏はほんの束の間の夢として、ここに新城下町と陣屋を建設し、新たな門出の地としてここを選びました。山崎氏は元は豊臣家臣で関ケ原戦役で西軍の属して改易、その後は徳川家に仕えて徳川旗本となります。宮城家嗣は寛永
4年(1627)に加増を受けて、但馬北西部の三方郡に6千石の加増を受けて1万3千石の大名に昇格。その新本拠地として清富の地に陣屋と城下町を築いたのでした。最も家嗣本人は江戸定府であったために、実際には家臣派遣だったようですが。しかし承応2年(1653)に家嗣が亡くなると彼には子供がおらず、清富藩は無嗣断絶。清富の領地は幕府に収公されたのでした。
四半世紀の儚い夢として今残された清富陣屋跡。今は石碑と石垣を残すのみです。
 

〇アクセス

JR山陰本線浜坂駅から徒歩25分

 

「清富陣屋に狼煙が一本…」