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武蔵今井城は東京都青梅市にある住宅街の一角に遺構が完璧に残された東京都屈指の城です。東京はなかなか城跡巡りで行くときに「鬼門」に当たる場所。江戸城などの有名城郭を覗けば、大体が遺構が良くて断片的に残っているか、完膚なきまでに破壊されているか(これがデフォ)西側の自然豊かな多摩地域以西くらいしか残っていない場合が多い。そんな中にあって如何に首都圏からはなかなか遠い青梅市の市街地のど真ん中に遺構が完璧に残されている今井城は本当に本当に希少な存在でした。

東京都で城巡りをする時は絶対ここは行った方がいい

そんな貴重な東京都の城をご紹介します。絶対「東京都の城」ベスト10は狙える名城です。

青梅市を車を走らせること20分ほどであったでしょうか。今井城の立地は東京都青梅市と埼玉県入間市の県境付近。車で走らせるうちに「東京都に~」と「埼玉県に~」というナビが交互に聞こえてきます。住宅街の中に雑木林が群生している緑が残った区画があり、そこがまさに今井城跡でした。

車で外周を回っても一目で分かる「城跡」の遺構、周囲は住宅街ばかりなのにここだけ良くぞ保存してくれたものです。外周沿いを回り、更に車を住宅街の中まで入らせると

ちょうど住宅街と今井城跡の境界付近が車が停められるだけのスペースと入口部に縄張り図の案内板が掲げられていました。今井城跡は青梅市指定史跡となっていますが、公園化されていないのでガチの城攻めで遺構を見れる城でもあるのです。

まずは一番外郭部にあたるC曲輪から

土塁と空堀が綺麗に残されています。

堀底

1月でしたが、朝日にも照らされ良い感じに体も熱してきています。

ちょうど住宅街と城跡を隔てる境界線の如く柵で囲われており、この一角だけが昔のままの光景として手つかずのままです。かつてはここは水田で囲まれており、街道も走る川と街道を押さえる城として築城されたとされています。

C曲輪の土塁と

横堀

まずはなかなかの形が綺麗に残されています。

更に本曲輪との間には更に深い空堀が待ち構えています。

この部分の深さはかなりのもので往時にはかなりの急峻な空堀だったのではないでしょうか。なかなかに土木工事量の凄まじさを感じさせます。

入口から10分ほどで主郭部に到達!

コチラも土塁で周囲を囲い、外から内部が見えないかなりの強固な造りでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

本曲輪外側の虎口

その下はかなりの急峻な坂道でこれもまた下の閑静な住宅街と城跡との「ギャップ」を感じさせるには十分です。

最後に入口から一番近い2郭を観察して訪問は終了

今井城はコンパクトながらも構造は土塁と空堀で深く遮断し、念入りに防御力を高められるよう設計されており、訪問した時には
「なんて素晴らしい城なの!」ってもう感動してしまうほどでした。何でこんな良い城が余り注目されないのか。閑静な住宅街の一角に保存された貴重な城跡としてもっと知られてもいい名城です。ただ、ここまで来ようとするとまずは八王子まで出てから本数が少なくなる青梅線か八高線を使わないといけないのがちょっとネックかな?
文句なくまた訪れたい名城でした。
〇技巧的な城の謎の歴史
今井城は江戸時代に書かれた地誌である『武蔵名所図会』には「古屋敷」とあり、今井四郎左衛門経家なる者の屋敷であったと記されていますが、これは伝承の域です。発掘調査によると城の現在の形が出来たのは戦国時代前期、15世紀前半と見られています。可能性としては大永年間から永禄10年(1567)頃までで北条と山内上杉氏の抗争の過程で築かれたと見られます。①大永4年(1524)北条氏綱と対立する山内上杉憲房が毛呂城(埼玉県毛呂山町)を攻め、これに対応するために北条氏も勝沼城(東京都青梅市)まで出陣していることからこの時期の最前線の城として築かれたか、永禄4年(1561)越後の長尾景虎(後の上杉謙信)が小田原城攻めからの撤退直後に当地域で上杉軍が北条に対して「地利」=純軍事的城郭を築いたという記録が残り、両軍が対峙した時。いずれにせよ、この城はその技巧的な縄張りに対して、築いたのが上杉なのか北条なのかも分かっていない謎の城でもありました
 
〇アクセス

JR八高線金子駅から徒歩30分

 

「武蔵今井城に狼煙が一本…」