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東京都檜原村は首都・東京都の奥深くにある自然豊かな山村です。まさか東京でこれほど田舎の長閑な山村風景が拝めるとは完全に予想外でした。とはいえ、それだけに公共交通機関でのアクセスはというと東京なのに鉄道路線が無いというこれもまた「ここ東京だったっけ?」と判断に迷うくらいのなかなか難しい場所であります。でもここはそれだけに首都圏の喧騒とは無縁の平穏な世界が広がり、魅了してしまう位の美しい光景を見ることもできました。東京都に残された山村の檜原村を車で訪れることにしました。

〇東京の山奥深くに残る山城と冬の滝

住宅街やニュータウンのひしめく東京のベッドタウン多摩地域。そこをまだ早朝の6時の段階でレンタカーを走らせ、一路東京の山村・檜原村へと進めていきます。やがて住宅街は消えていき、そして山の中をひたすら一車線の道路を山奥深くへと車を進める。武蔵五日市駅から約30分ほどで

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正面に見える山が檜原城がある山です。

城跡へは麓にある吉祥寺があり、ここが登城口となっています。車もここへ停めさせてもらいました。無断駐車にならないよう参拝も実施。

実は檜原城のあるこの山は吉祥寺の仏像十三仏巡りのコースにもなっていて、山に十三体の仏像が安置し、それを順番に参拝できるようにもなっています。

麓にある案内板より

しかし、そこに立ち塞がるのはやはり傾斜の急な山登り道。1月ということもあって東京でも山奥深くはかなりの寒さとなりますが、それでもここを登っていくと汗が出てきてしまう程です。

途中で

何体からの仏像を見て、ここまで登ってくる人がいるのだなぁと実感。それを考えれば、この程度の山登りにへこたれている場合ではない!と自分でも奮起する力が出てきました。

そしていよいよ檜原城二の曲輪虎口に到達!ここまで吉祥寺から約25分ほどでした。

朝日に照らされた檜原城には気分高揚!

幾重にも堀切で区切られた主郭までの道のり。おお、こういうのが雑草一つ生えずに綺麗に地形として観察できるのはありがたい。これは檜原村の皆様に感謝

もうここまでくれば、あの傾斜の急な中腹部と比較するばなんのその。あと一歩で城の中心部に到達です。

主郭到達!

 

 

背後には更に急な堀切が見えています。

主郭を囲うように更に腰曲輪も構成された構造。全体的にシンプルで規模としては小さな城でしが、その分構造としてはかなり堅固に守れるよう構成されており、「国境の城」としては十分すぎるほどの規模の城でした。

特にこの曲輪間を遮断する構造の堀切がなかなかの構造で、これが綺麗に残されているのが檜原城の素晴らしい所。

麓の檜原村をまるで見守るようにこの城からは非常に良く見渡せます。

かくして城巡りと仏像巡りの山登りという得難い体験をすることができました。

ここ檜原村にはもう一つ名所として「払沢の滝」があります。先月巡ってきた「吹割の滝」の威容には及びませんが、こちらはそれとは全く違う美しい光景を見ることが出来ました。ここから車を走らせてほんの10分ほどです。
とはいえ、肝心の滝までは駐車場から歩いて20分ほどかかります。この辺は駐車場から数分歩けば到着できた吹割の滝とは違う「秘境の滝」感があります。

これはなかなか良い!1月という真冬の時期とあって、一部凍り付いた部分が白くなっているのがより一層幻想的な光景となっていました。

払沢の滝の傍にある小さな滝ですが、こちらは完全に凍結してしまっているのですが、その氷の滝がより一層更に得難い光景として素晴らしいものでした。
東京に残された数少ない自然豊富な檜原村。是非とも都内に住む人でも訪れることをお勧めします。
 
〇甲斐・武蔵国境の城

江戸期に編纂された地誌である『新編武蔵風土記稿』に檜原城についての歴史が語られます。応永二十年(1413)鎌倉公方の足利持氏が武州南一揆と呼ばれるこの地域の武士団を束ねる存在であった平山氏に命じて築城されたと言われています。平山氏はその後、足利氏から戦国時代には関東の覇者が北条氏へと変わると滝山城主の北条氏照の家臣として活躍。

 甲斐との国境近くに位置する檜原城は武田と北条の間が戦争となるとその最前線として機能することになります。永禄十二年(1569)には武田信玄が小田原城攻めをした際には防衛線として機能することになります。武田側の史料でも檜原城に攻め入り、敵を討ち取ったとの記録が残っています。

天正8年(1580)武田勝頼の代に再び武田と北条は開戦。再びここは最前線地域となり、北条側からも「大切之境目」として重要な拠点となりました。翌年には城主平山氏の元で組織したとみられる「檜原衆」が甲斐都留郡に逆侵攻するなど一進一退の攻防が繰り広げられました。その後、天正16年(1588)正月、北条は豊臣政権との開戦を見据えて、檜原城の守りを強化。今の遺構は

まさに中央政権との全面戦争に備えた北条氏によって強化改修されたものなのです。しかし、豊臣政権による総攻撃で檜原城は落城。城主平山氏もまた自刃し、平山氏は180年の城の歴史と共にその終焉を迎えたのでした。

 

〇アクセス

JR武蔵五日市駅から車で約15分吉祥寺から徒歩30分で主郭

 

「檜原城に狼煙が一本…」