奈良県山辺郡山添村…ここは大和国住人であった私でもなかなか訪問が難しい場所。三重県との県境に位置し、公共交通機関ではバスだけがここを訪問できる唯一の手段。当然ながら余り行きにくい地勢が災いして、近年まで訪問することが無かったのですが、ちょうど伊勢の方へと行く所用があったので、車を使って(遂に私も車を持つに至った)の訪問しました。名阪国道沿いなので、車だとちょうど良い訪問の感じです。名阪国道の山添ICを下りて、一般道の道を走らせていくこと20分ほど

山辺村は長閑な山村という感じで、その中で綺麗に整備された春日神社。ここに車を停めての散策となります。

神社裏手の山の中へと入っていく砂利道をすすんでいき、林の中へと入っていきます。

一瞬見落としてしまった城への入口の矢印板

凄い分かりにくい…これは入口を探すのに一苦労してしまいました。

基本的に道らしい道ではなく、あくまでも草が生えていない場所が「道」なので迷わないように要注意

歩いていくと未整備ながらも城の主郭(正確に言うと東城の)に行きつきました。

実をいうと畑城というのは連郭式で東の城と西の城、中の城という3つの城部があります。今回私が訪問したの(というか到達できた)のは東の城部。この奥に更に行くと中の城・西の城へと行きつく…筈ですが、ちょっとここまででも未整備で登るのも普通の山城にはないかなりの労苦だったので、今回は安全策でこれ以上の進軍をストップしました。

東の城の主郭の周囲には断片的ながらも石積遺構が残されていました。今回の畑城訪問で唯一見れた城跡の遺構でした。

それにしても斜面の傾斜が急すぎて危うく足を滑らせそうになりました。もう少しちゃんとした石積みが見られたそうなのですが(過去の城訪問HP参照)見たかったのですが、なんとも悔いの残る結果に。

主郭部跡

下の砂利道から見た畑城、こうしてみるとかなり質素ながらも城としてはかなりの攻めにくい構造をしていたのが分かります。尾根を直登していって訪問出来た城でした。折角の石垣が残りながらも、城としては未整備で案内板も無いのが惜しいところです。

 

〇松永久秀に仕え、生き残った家臣の城

畑城の城主は奥田三河守忠高が天文年間(1532~55年)に築いたと言われています。奥田氏は元は尾張の斯波氏の一族で忠高は松永久秀に仕えていました。久秀滅亡後も織田信長、羽柴秀吉と仕えていましたが、その後再び大和のこの地に戻り、その後は徳川家康の旗本として、この地で大西陣屋(現在の村役場)を築いて、明治維新までこの地を統治し続けたのでした。

 

〇アクセス

近鉄奈良駅から車で約45分で春日神社、そこから徒歩10分で登り口、徒歩10分で主郭

 

「大和畑城に狼煙が一本…」