〇JR北陸本線金沢最後の旅
そして金沢駅到着
これもまた今となっては見られなくなった光景
改札口にある「サンダーバード」「しらさぎ」の行き先表示
「金沢駅」ではもうこれも見られなくなった光景です。
この時点ではまだ新幹線は福井・敦賀方面は未開業ということもあってこちらもこの時だけ
そして古くから城下町として、そして北陸の首府として栄えてきた金沢の玄関口金沢駅
やっぱりこの壮麗な鼓門のとガラス張りの駅舎は特徴的ですね。さてここからは恒例の城巡り旅
ただし、この2023年時点では既に人里に多くのクマが出没し、人身被害が取り沙汰された時期でもありました。
実際、金沢でも今までに考えられなかったようなクマとの遭遇が頻発しており、正直言うと今回の旅、一番怖かった点でもありました。一応、熊鈴と熊スプレー常備で参りましたが、それでも本気でクマに襲われたら一たまりもない。そんな中でのレンタカー旅でした。
まず最初は金沢郊外にある富樫舘跡へ
ここは金沢鉄道石川線の野々市駅工大前駅から徒歩10分の住宅街にあります。
もっとも遺構らしい遺構はなく、今となっては
この発掘調査で発見された空堀跡が唯一の残りです。他は完全に住宅街の市街地に呑み込まれてしまいました。
かつての発掘調査時の空堀跡です。今は埋め立てられてもう僅かに窪みとなった部分がその面影です。
まあこの辺りは流石にクマを気にせずに見て回ることが出来ました。本当の戦いはここからです。
〇一向一揆に滅ぼされた加賀守護大名の家
加賀は室町時代には富樫氏が守護大名でした。富樫舘はいつその居館となったのかは定かではありませんが、南北朝時代の建武2年(1335)に富樫政家が加賀守護に任じられた際に野々市に守護所を設けたのが起源と言われています。
富樫氏と言えば、「加賀一向一揆に滅ぼされた守護大名」として有名です。一般的には長享2年(1488)蜂起した一向一揆によって当時の大名であった富樫政親が敗れて自刃したことにより滅ぼされた…というイメージがありますが、これは正確ではありません。実際にはこの時、一向一揆側に加担していた同族の富樫泰高が富樫舘として入り、形式上は彼が守護として君臨し、一向一揆衆が擁立すると言う構図でした。もちろん、実際には傀儡に過ぎなかったのは言うまでもありません。
転機は元亀元年(1570)にやってきました。当時、畿内で勢力を拡大した織田信長と誼を通じた当時の富樫家当主富樫晴貞は一向一揆に対して反旗を翻しますが、敢え無く敗れ去り(そもそも当時はまだ信長の勢力は北陸には及んでいなかった)かくして伝法寺で自刃。これにて形式的にも実質的にも富樫氏は完全に滅亡したのでした。
〇アクセス
北陸鉄道石川線野々市工大前駅から徒歩10分
「富樫館に狼煙が一本…」


















