左沢楯山城は大江町を見下ろす高台の山に築かれた山城で、14世紀後半からこの地を見守り続けた城でした。地元でもやはりこの城は特別なようで、JR左沢線終着駅である左沢駅にもパンフレットが完備している充実ぶり。その左沢楯山城は現在は城跡公園として整備されており、地元では「日本一公園」というなかなかの気宇壮大なフレーズをもって、多くの人が訪れる憩いの場となっていました。ただ、私が訪問したのは12月中旬。雪が降り出して、まだ完全には雪に埋もれないギリギリの時期とあって、私以外は全くのゼロとなっていたのでした(笑)

城跡へはJR左沢駅から線路の下をくぐり、上へと上がる道を進んでいきます。

まだ雪が積もり切っておらず、道はあるのですが、かえって水分を含んだ土はかなり滑りやすくなっていました。

そして見えてきた「日本一公園」というなかなかの自信たっぷりな看板が出迎えてくれます。

この道は堀切道といい、これ自体もまた遺構の一つです。

上へと上がるまでに堀底を進んでいく道で上方から城兵に狙い打たれるまさに城への登り道は命がけ

それでも比高80mほどなので麓の駅から歩いて25分ほどで城跡の左沢楯山城跡公園へと到着しました。

まずはここで麓の大江町の街並みを見下ろす天然の展望台。特に蛇行する最上川がなかなかなの壮観を為していて、結構素晴らしい光景であったりします。

ここはまだ千畳敷跡。つまりまだ城への入口に過ぎません。

楯山公園中心部

城跡の石碑がたち、この部分は公園として整備されていました。

ここからは大江町全体が見渡せます。

行くときに乗ってきたJR左沢駅が小さく見えています。

そして城跡の本丸部は更にこの雪道を登って行った先にあります。

ここまででまだ城跡の半分ほど。かなりの広大な城です。

城は双胴型の形を成しており、一方の腕がこの楯山公園部分。もう一方の腕に当たる部分が城の本丸跡となります。

さあ、ここからは雪の中を進んでいくことになります。

でもむしろ半解けのさっきの入口部分の登り道よりは雪が固まっていて歩きやすかったりして(笑)

先ほどの楯山公園部

そしてその間には深い沢となっています。

10分ほど登ったら、遂に城跡の本丸部分に到着です。

一番高台にあたる部位は八幡座と呼ばれる部分で、櫓台に当たる部分ではないのかなと思われます。

 

それにしても本当に広大な城で、当時の大江氏の威勢が伺われます。

主郭の一部の部分にはかつてこの場所にあった宗教的儀式を執り行う建物があったことを示す整備が成されていました。

この先にはかつて「寺屋敷」と呼ばれる部分で、その名の通り寺院などが建立されていたみたいです。

ただ雪が結構深く、これ以上の進軍はちょっとストップ。この辺で引き返します。

最後に雪で白化粧された左沢楯山城を見送って、この日の城巡りは終了しました。

 

〇水陸両用の交通要衝

かつて河川は当時において一大交通機関であり、左沢の地を流れる出羽(山形県地域)の大河川・最上川もまた重要な物流のネットワークを構成していました。河川の物流、更に米沢、日本海側の庄内地方へと続く街道も交差しており、まさに交通の要衝。

左沢楯山城は14世紀後半からその要衝を守る為に築かれ、江戸初期の最上氏の時代まで拡張工事を続けられていたのでした。

 元の城主であった左沢氏はその祖先はかつて鎌倉幕府創建において文官として重きをなした大江広元。彼がこの地の地頭となり、その子孫が左沢氏を名乗って、14世紀後半の南北朝時代に軍事的要衝として城を築いたのが始まりでした。その後、左沢氏は戦国時代に出羽の群雄・最上義光の征服によって天正12年(1584)に滅亡。その後は最上氏の境目の城として位置づけられ、最上川の舟運ネットワークの一部として拡張されていったのでした。しかし、元和8年(1622)最上氏が改易されると、左沢楯山城は廃城。その後は庄内藩酒井家の一門が領主となり、小漆川城を麓に築き、城下町を築いたのでした。

 

 

 

〇アクセス



JR左沢線左沢駅から徒歩25分

 

「左沢楯山城に狼煙が一本…」