群馬県東南部はかつては関東戦国時代時の争乱では角逐の場となっており、非常に多くの城跡が残っています。今回紹介する上州小泉城もその一つ。公園となっていますが、その内面にはかつての城跡の面影が良く残されています。

〇駅チカの公園城郭

西小泉駅へと走る東武鉄道小泉線は2駅程度の盲腸路線となっており、その終点が

西小泉駅。1時間に2本ほどのワンマン電車が走る路線で、通勤路線ですので利用者は多く、ローカル線のような寂しい雰囲気はありません。

駅から城跡まではほんの10分ほど。城之内公園という表示がまさにそれで、広い意味では西小泉駅の一帯もかつては城跡でした。

公園入口には「城」のイメージを強調するために設けられた現代風の石垣が出迎えてくれます。

かつての小泉城の城の外堀と土塁跡

二の丸跡には駐車場となっていますが、そこかしこに土塁部分が残されているので、間違いなく城を訪問した気分にさせてくれます。

二の丸内部には庚申塔と呼ばれる塔がたくさん建立されていました。これは江戸時代期に庚申信仰のために設けられたとされています。江戸期には小泉城は廃城となっていましたが、こういう形で城跡の敷地は活用されていたのでした。

二の丸跡も非常に良く整備されていました。

また二の丸跡には城之内古墳が残っています。古来はかつて古墳であった地を城として活用したのでしょうか?

外堀と土塁

そして公園中心部、すなわち小泉城本丸部分に到達

かつては方形居館として、四方を土塁で固められていたかつての形状をよく残しています。

櫓台址

小泉城縄張り図

緑部分はかつての城跡として残っている地域であり、かつての城跡の構造をみると二重の土塁と堀で守られた城でありました。

 

〇戦国100年の歴史と共にあった城

小泉城は、延徳元年(1489)に富岡主税祐直光が縄張りを施して、築城したのが始まりであり、遺構、富岡氏6代100年の居城として栄えました。富岡氏は元は結城氏であり、かつて結城合戦で鎌倉公方足利持氏の遺児を庇護して、室町幕府及び関東管領上杉氏に抵抗を続けた一族でした。結城氏はこの合戦で没落しますが、やがて持氏の遺児である成氏が古河公方となるとその配下として富岡直光は邑楽郡小泉に所領を与えられたのが始まりでした。

 その後、戦国時代になり、やがて北関東は北条VS上杉となり、富岡氏もその大国の狭間で生きることになります。富岡氏は当初は上杉氏に属していましたが、天正年間に上杉氏の勢力が関東から衰退していくと、北条傘下となる道を選びます。現在の小泉城の姿はこの北条氏に属した時代に北条流に改修されたと考えられています。やがて天正18年(1590)に豊臣政権による小田原征伐になると北条氏に属していた富岡氏も没落。小泉城も廃城となったのでした。

 

〇アクセス

東武鉄道小泉線西小泉駅から徒歩10分

 

「上州小泉城に狼煙が一本…」