先ほどの宍戸陣屋跡の遺構を見学してから再び水戸線で。次なる目的地の桜川市へは岩瀬駅にて下車します。
かつてはここから筑波鉄道という鉄道路線が走っていましたが、1987年をもって廃止
現在では桜川市・つくば市間広域連携バスがその代用となっています。このバス、桜川市内の区間なら一律200円というかなり割安な値段なので、絶対これなら車で行くよりバスで行った方がいい。
目的地の真壁まで到着
真壁は江戸時代以来の古い建物が多く残り、今なお陣屋町の面影を強く残しており、国の登録有形文化財には実に100もの建物が指定されています。
こうしてみると100にも及ぶ登録有形文化財がある町というのは伊達ではなく、惜しむらくは交通の便が余り良くないために人通りの往来が少ないところでしょうか
その中でひと際際立つ立派な建物がこちら「真壁伝承館」です。実はこの建物の場所こそ
かつて真壁陣屋があった場所でした。建物が建てられる前に発掘調査が行われており、おおよその構造も分かっています。
その裏手にかつて陣屋跡についての案内板があります。
陣屋跡の遺構
かつての陣屋を偲ばせるのはここにある表示が示す通り僅かです。
かつての水路跡はそのまま
その裏手は
神社境内
堀跡
板張りとなっている区画がかつての陣屋の堀跡の表示です。
石棺の現物
真壁伝承館では真壁城や真壁陣屋に関する歴史解説などの展示が無料で見ることができました。ひとまずここで休憩しながら、いよいよ真壁城へと向かいます。
〇「忠臣蔵」の浅野家最初の入封地
真壁は中世以来、真壁氏が領主として真壁城を拠点に支配していましたが、慶長7年(1602)真壁氏が主家である佐竹と共に秋田へ国替えとなると、この地は豊臣家の五奉行の一人浅野長政の隠居領として与えられることになりました。既に息子の幸長が徳川大名として大封を与えられたことにより、その死後、真壁領は弟の長重が相続することになります。その後、笠間に加増転封されることになりますが、長重自身は父の墓所がある真壁に在住し続ける道を選択しました。その後、笠間藩浅野家はその後、赤穂へと国替えとなり、この浅野家こそ、後の「忠臣蔵」で有名になることになります。
これ以降、真壁は笠間藩の飛び地として真壁陣屋は存続し続け、明治まで続くことになります。
〇アクセス
JR水戸線岩瀬駅から桜川・つくば市間広域連絡バスで「真壁城」下車(200円)徒歩15分
・真壁伝承館
開館時間:9:00~16:30 入場料:無料
休館日:月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日が休館となります)、年末年始
「真壁陣屋に狼煙が一本…」