遂に逃げ若は南北朝時代に突入!

…これまで散々「南北朝を舞台にした漫画!」「南北朝鬼ごっこ」と謳っていたものの実は、まだ南北朝時代では無かったという矛盾。今回の湊川の合戦とその結果としての大楠公・楠木正成の死によって遂に世は南北朝時代に突入したのでした。

三国志でいえば、ここまでは後漢末期の群雄割拠時代

とよく似ています。三国志も「曹魏・孫呉・蜀漢」という三つの国が成立した時期よりもむしろ後漢王朝が実質的に形骸化した後の群雄割拠の時代から語られます。それはまさにこの時期をキチンと押さえておかないと三国時代の歴史が分からない。それと同様に南北朝時代もこの前段階である建武政権期の混乱を踏まえないと分からないのとよく似たものです。そして

南北朝時代が成立した時には既に足利家の圧倒的優位は崩せなかった

という意味でも三国志とよく似ています。三国が再成立した時には既に曹魏の圧倒的優位が確立していて、残る二国は辛うじて地形を味方にすることで対抗していたのと同様、南北朝のラスボス足利尊氏が湊川の合戦で勝利を収め、大楠公を死に至らしめたことでその天下取りの優位を確立したことで、今回の重要さが分かっていただけるかなと思います。

 

解放された足利尊氏

最早スペックの高さは解放前でさえ話にならない。同時に忠義が「O or 100」という極端な振れ幅。このアンビバレンツさがまさに尊氏がラスボスたる所以。そして今回の回で松井センセイによる歴史上の足利尊氏に対する本質を突いた評価として必見です。それでは本編感想参ります。

 

〇南北朝のラスボス&大楠公、2人の宿敵の友情

大楠公の凄まじい武力の前に一度は追い詰められたかに見えた南北朝のラスボス。しかし、新たな禍々しい武器「骨喰」を手に入れ、能力を解放した尊氏はダメージがリセットされたかのように平然としています。大楠公もまたその様子からただならぬ気配を感じたこちらも真剣な表情で勝負を挑みますが、余りにも圧倒的過ぎる力の前に武器を奪われ、無力化。

大楠公「得体のしれない力ではない。見事に磨き抜かれた人の武力だ」

禍々しい能力ではなく、まさに彼自身が凄まじい武力を持ち合わせた一流の武将であることを悟った正成は敗北を悟りました。

南北朝のラスボス「さようなら楠木殿、奥方の料理美味しかったです」

まさに親しい友人への別れのように親しみを込めて、そして容赦なく命を奪う南北朝のラスボス。

 

 

 

 

もはや唯一の勝機であった尊氏打倒に失敗したことで楠木勢の敗北は確定します。しかし、弟の正季はじめ楠木党の武士達はまさにその死に殉じるかのように最期の一兵まで死兵となって戦い続けます。それを眺めながら、自分が致命傷を与えた相手と語り合う尊氏。楠木正成の敗因はなんだったのか?

大楠公「逃げるのを辞めた事…でござるな」

それこそかつて逃げ回ることで勝利を収めていた楠木正成。憶えておいででしょうか?かつて時行くんに対して語ったように


「固定観念の檻に囚われた者は弱い」という言葉。皮肉なことにそんな言葉を行っていた大楠公をもってしても自分を引き立ててくれた帝への忠義という「檻」に囚われてしまった。本来の彼の座右の銘からすれば、自らの提言を拒絶し、勝ち目のない戦への出戦を強いる君主などその時点で見切るべきなのに、その彼をもってしても後醍醐帝のカリスマの前では遂に逃げることが出来なかった。そしてそんな大楠公を心の底から悲しみ

 

涙まで流す尊氏の様子を観察して正成は洞察します。他者から見れば、余りにも不可解過ぎて「わけが分からない」と当時も後世の人間からも理解されなかった足利尊氏。その本質は

 

「慈悲 身勝手 無邪気 邪気 楽観 悲観 忠義 野心」

この評こそまさしく松井センセイなりの足利尊氏の本質を突いた見事な評価です。一部には「実在の人間を怪物のように描くとは許せん!」とか非難轟轟となっている逃げ若ですが、何よりも人間が併せ持つ複雑な一面を内包し、それらを宿せる巨大な器という言葉に彼に対する最大限の賛辞と思うのですが皆さんは如何でしょう。

そしてそんな彼を倒すのは戦上手では不可能。軍神と言われた大楠公ですら勝てなかったのだから、当然です。

大楠公「少年よ、そなたは逃げるのを生きるのを辞めるなよ」

同時にこの後の展開にかかってきます。そして生きていると確信している逃げ上手の少年に託すのでした。ああ、やっぱり大楠公は時行くんの生存を確信している。こうして楠木正成は力尽きた…

南北朝のラスボス「そうだ!死んだら直帰で生まれ変わってきてください!また敵でも全然良いので!」

何言ってんの、この人(笑)

自分が命を奪った相手に対してこんなセリフを言うとかマジモンのサイコパスか、底抜けの善人か(笑)その突拍子の無さに大楠公も思わず、笑って今までの真剣な語りが嘘のように吹き出してしまいます。

大楠公「七度生まれ変わっても必ずや…逆賊尊氏を殺しに参るよ」

有名な「七生報国」のネタを逃げ若流にアレンジして登場!本作ではそんな皇国史観のプロパガンダに利用された逸話に対しても盟友に対しての餞別代わりの言葉として「また会おうね!」と明るい感じに改変したのは結構好き。

なんだか不良同士の河原で殴り合いながら最後は笑いあうシチュエーション(笑)

不思議な事にこの時代を代表する2人の英雄は宿敵となりながら、どこか惹かれあうものがあったようです。ある意味では最大の理解者だからこそできる業。大河『太平記』でもそういう解釈だったようにやはりどこか感じるものがあるのでしょう。

かくして湊川の戦いはどこか爽やかな雰囲気と共に終了

 

〇瓦解

かくして遂に楠木・新田軍を打ち破った足利軍は遂に京へとなだれ込みます。それは遂に建武政権が終焉を迎えた瞬間でした。慌てて護衛の武士たちに守られながら、逃走する後醍醐帝

後醍醐帝「今逃げるなら何故あの時逃げなかった…おお、楠木よ…!」

何を今さらぁぁ!!(憤怒)

あの時には「面子」を気にし、更には「逃げぬと言う誇りと覚悟が人を強くする!」などと言っていた人間がいざ自分に危険が迫るとあっさり逃げ出す。それほどまでに言うなら帝自身が率先して範を垂れるべきなのに、威勢のいい時には傲慢なほど自信過剰なのにヤバくなるすぐに保身に走る。大河『太平記』でも片岡孝夫の名君オーラをもってしても挽回不能なまでの後醍醐帝の身勝手さを象徴するシーンでした。それ以上に気になるのはその顔。基本的に後醍醐帝の素顔は本作では過去の場面しか登場していませんが、そこにはふくよかなまさに目をキラキラさせたエネルギッシュな帝王の顔とあごひげでした。


しかし、この場面で出てくる彼の顔は勿論隠れていますが、髭が余りにも貧相なものになってしまっています。やはりこれが大楠公が洞察した通り、帝が弱くなったことを象徴しているのではないでしょうか。そんな帝を逃がすために奮戦しようとしていたのは千種忠顕。後醍醐帝随一の側近であり、公家ながら彼自身も鎧をまとう武将でもあります。彼もまた坊門と同じく4話ではモブキャラとして登場。そして今回は甲冑をまとった°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°な姿で足利軍に戦いを挑みますが、

次のコマで高師泰に脇見されながら瞬殺

まあ大河『太平記』でも千種は本木雅弘という当時随一のイケメン俳優をキャスティングし、如何にも物語に関わる重要な役どころと思わせておいて、死亡シーンは省略された不遇なキャラだったからね(尊氏と判官殿の会話で戦死が言及されただけ)最期が描かれただけでもまだマシな扱いかな。

 一方のこちらは味わい深い扱いをされていたのは名和長年。かつて自分が葬り去った後醍醐帝の政敵である西園寺公宗の言葉が思い出しながら、

名和長年「言う通りだ、西園寺卿。短い栄華だった」

そう振り返りながら、殺到する足利軍の将兵に一騎だけで死を覚悟して赴く後姿というなかなか味わい深い最期でした。この辺は同じく『太平記』でも千種と違って、キチンと最期のシーンが描かれた小松方正とよく似ている。かくして名和の戦死をもって

「三木一草」と呼ばれた後醍醐帝が引き立てた寵臣たちは全滅

逃げ若ではチョイ役だった結城親光はこの前年の時に足利軍に偽装投降して尊氏の暗殺を謀りましたが、露見して戦死しています。もっともこの「三木一草」、対応しているのは楠木(くすの)千種(ちぐさ)のみで結城(ゆう)は字が違うし、名和に至っては官職名の「伯耆(ほう)守」を充てるというどう見てもこじつけ感満載なもので、その意味は政敵たちによる「どこの馬の骨とも知れぬ成り上がり者」を揶揄する意味での蔑称だったとされています。いずれにせよ、そんな後醍醐帝に引き立てられ、歴史の表舞台に立った彼らが鎌倉幕府崩壊から数年で全員非業の最期を遂げた事もまた建武政権崩壊の証です。

追い詰められつつある中、一人孤軍奮闘する新田義貞。そこに襲い掛かる一本の矢を払いのけると…

これまで散々その「天然ぶり」がネタにされていた新田義貞もまた当代きっての名将であることを示したいいコマでした。

時行くんにとっても深い関係にある信濃の小笠原貞宗もまた参戦。その弓のただらなぬ威力を察し、撤退を命じる新田義貞。まさに優秀なる武将は優秀なる武将を見抜く、一流のシーンです。ちなみに史実ではこの時、実際に貞宗も近江での琵琶湖における封鎖作戦で、後醍醐帝方の補給路遮断で活躍しており、これも要因の一つとなって、帝方が講和に応じざるを得ない状況に追い込まれました。『太平記』ではこの時自らの地盤である近江で活躍する貞宗を目障りに思った判官殿こと佐々木道誉がわざと後醍醐帝に偽装投降して、近江国守護を任じられたことを南北朝のラスボス足利尊氏に認められたと偽って貞宗を近江から追い出したというエピソードが残っています。まあ流石にいくら腹黒判官殿でもそんなバレれば危ない行為をするとは考えにくいのですが、貞宗を排除した辺りは結構いい線ついているかもしれません。

かくして、追い込まれた後醍醐帝は足利陣営と講和という名の実質的に降伏を強いられます。この時、帝位は尊氏が擁立した持明院統の光明天皇に譲位されてしまうのです。

ただ南北朝のラスボスから言うと結構、大好きな後醍醐帝の為に配慮はしているんですよね。

講和先を臣下である自分ではなく、同じ皇族である持明院統としたことで帝の面子が立つ形にしたのもそうですし、しかもその次には後醍醐帝の皇子が帝位が譲られると言う形にしたのもそう。少なくとも敗者の立場となったからすればかなり寛容な内容でした。しかし、建武政権時の絶対的帝王の地位だった頃が忘れられない後醍醐帝は…

 

〇一天に二つの帝有り

解説「不屈の覇気ですぐさま脱走。南に100キロ。守りの堅い山里の吉野に逃げた」

やはりこの御方は本当に只者ではない。巷間では女装して足利軍の監視を逃れたとも言われ、その「逃げ上手」ぶりはやはり突出しています。かくして

既にもはやかつての蜜月が破綻した瞬間でした。

尊氏は未だ帝のことを引きずっているのに対して、既に帝の方は自らを裏切った尊氏に対する怒りで憎さ百倍。今や尊氏を不倶戴天の敵しかなかったのです。

しかし、ここからは理解不能な展開となります。

よりにもよって敵方の総帥に逃げられたことで大騒ぎとなる足利の面々。腹黒い弟も血相を変えて、探索を指示しますが…

理解不能ですが、実はこれ私が南北朝のラスボス足利尊氏で一番好きなエピソードであったりします。

本来なら十分すぎるほど「厚意」を示した帝に裏切られたわけですから、本来なら怒るか嘆き悲しむのが当然なのです。それが全く真逆の「警備の手間が省けたし、勝手に逃げてくれて良かった」と大喜びというのはなかなかに凄まじい。ちなみに漫画ではかなり簡略化されていますが、そのセリフは『梅松論』をそのまま抜き出してみると

南北朝のラスボス「先帝を花山院に軟禁するのも警備の手間が大変だし、北条のようにどこぞへ島流しにするわけにもいかず、困っていたところだ。今度の脱走はむしろ大儀の中の吉事である。きっと畿内のどこかにおられるのだろうが、あとはご本人の好きなようにどこへと落ちられればよい。運は天の定めるところで我らがどうこうできるものではない」

いやそのりくつはおかしい

もうどこから突っ込んでいいのかわからないくらいのおかしさ満載ですが、これもまた南北朝のラスボスのラスボスの常人には理解不能なスーパーボジティブシンキングで物事を判断したりするのが尊氏であります。その大らかさが色々逆に事態を混迷させたりするのですが、最終的に彼の下に人望が集まる要因で合ったりするのだから複雑な所。大河『太平記』では帝を自らの手で幽閉していることに悩んだ尊氏が敢えて警備の兵を少なくすることで、大好きな帝が逃がしたと解釈されていました。

まあいずれにせよ腹黒い弟には腹立たしい限りなのは間違いない。かくして

ここからが事態が日本史史上最大の混迷を迎える南北朝時代の最大の複雑な要因である2人の天皇が並立する事態

厳密に言うと「2人の天皇が並立する」事態はこれまでもありました。有名な源平合戦時の平家に連行された安徳帝と京に残った後白河院が擁立した後鳥羽帝がそれですね。ただ、如何せん安徳帝は幼帝であり、「凋落した平家の傀儡」でしかないのが明らかであり求心力に乏しく、しかも間もなくその平家が滅んだこともあり、この時は大きな事態にはなり得ませんでした。これに対して、今回は後醍醐帝自身はまさに不屈のカリスマ君主ということもあり、未だその求心力は高く、どちからというと京で擁立された持明院統の方が「傀儡」のイメージが強い。結果、どちらも拮抗した関係であることがややこしさを満載させます。

逃げ若ではこれを

政権選択の自由

の解釈としたのが面白い。もちろんこの時代の政権選択は単なる選択ではなく、自らの存亡もかかった命がけの選択です。下手をすれば、自身の命や所領、家名も失いかねない危険な選択。そしてその最初の政権選択の自由を行使したのは…


ようやく…ようやく…主人公の時行くんが戻ってきたよ(涙)

​​​​​​​ということでここからがまた北条時行くんの2度目の戦いが始まるのです。さあ、ここからが逃げ上手の若君第2部の始まり!